2014年11月30日日曜日

ロードの郊外論

Lordeの『Royals』を初めて聴いたとき、都市社会学的な側面からの現代批判だなと思った。
よくよく聴いていると、それは更に奥深いことが分かった。



『Royals』は以下の特徴があると思う。

  • 都市社会学的な郊外批判。
  • アメリカ中心主義的な大衆音楽への異論。
  • 郊外に育った人間としての自己言及。
  • 社会学的ヤンキー論。
  • 貴族政治への憧憬。




そのどの点においても面白い。
そういった現代批判を前面に打ち出した歌手としては、かなり久しぶりの逸材である。



中でも一番強烈なのは、やはり郊外論と自己言及である。
ニュージーランドの都心部にもほど近い住宅街で育った彼女なりの郊外に関する描写。



彼女はカリフォルニアのバレーガールでもなければ、ブルックリンのドン・ディーバでもない。
ブロンクス出身のジェニーでもなければ、兄弟愛の街フィリーの歌姫でもない。
19世紀にポリネシアに建国した島国の、都市部の住宅街に住む十代である。



バスに乗らなければ、どこにも行かれない。
バスに乗るには何十分も寂れたバス停で待機しなければならない。
親の車に乗って、買い物に出かける手もあるけれど、それには親と行動を共にしなければならない。
パーティに行くには電車を使い、いくら持ってきたか、友達と車内でお札を数えるのが関の山だ。



しかしテレビをつければ、ブリンブリンの誇示、貧困街のギャング、大きなプールに庭付きの戸建てでの乱痴気騒ぎ、惚れた腫れたの話、可愛いネェちゃんとの乳繰り合いなどの曲がかかっている。



彼我の懸隔をLordeは感じただろう。
日本とアメリカほどではないが、ニュージーランドの十代の世界とアメリカ西海岸的世界には大きな距離があったはずだ。



それは以下の詞にも表されている。
That kind of luxe just ain't for us.
We crave for different kind of buzz.



仲間内で仕切りキャラになり、ちょっとした女王様気取りで充分、どうせ中世の貴族社会には属することはできないんだから、キャデラックやダイヤモンドごときで、上流階級を気取るなんて野暮である、と唱えるのがLordeの価値観だ。



Royalsはアメリカ的ヒップホップやポップの世界観批判をし、郊外出身の十代の気持ちを表現した。
それに対して、「シャッター商店街を素通りして、仕方なくロードサイドの巨大ショッピングモールに、親の運転で行くしかない人々」が共感した。



東京に例えると、六本木、リムジン、何百万円のワイン、高級時計、湾岸のタワーマンション。
でもせいぜい果ては成り上がりであって、皇族には成れないのであり、そんな世界とは無縁な私は練馬の住宅街から親の運転で入間のショッピングモールに向かうのである。

2014年11月9日日曜日

西海岸の00年代ディーバたちの逆襲

ノー・ダウトのリードシンガー、Gwen Stefaniとブラック・アイド・ピーズのFergieが最近、再び各々のアルバム発売に向けて活動を始めている。



Gwenは90年代からバンドのリードボーカルとして活動していたが、00年代にソロデビューし、自身の80sエレクトロへの愛と日本の原宿文化を融合したアルバムを制作し、ヒットさせた。
Fergieは2003年にブラック・アイド・ピーズに参加し、グループの三枚目のアルバムの大ヒットに立ち会った。



二人は1969年と1975年の生まれというように、年齢は多少違うものの、同じカリフォルニア州出身で活動音楽の下地にブラックミュージックが存在し、忙しく活動している時期に結婚、出産を迎えた。



2006年、Gwenは二枚目のソロアルバムを、Fergieは初のソロアルバムをリリースし、Christina AguileraやJustin Timberlake、Eminemらの活躍とともに、白人もヒップホップやストリートミュージックでポップチャートを席巻する時代を作った。



Gwenの今回の新作は『Baby Don't Lie』。
最近はEllie Gouldingの『Burn』やSam Smithの『Money On Mind』、Mag!cの『Rude』など脱ラガマフィンしたレゲエ調の曲がヒットしていたが、やはりGwenはレゲエ調の歌唱法で勝負してきた。
ノーダウトのアルバム『Rock Steady』ではLady Sawと、二枚目のソロ作ではDamian Marleyとも共演している。



一方のFergieは世界の都市名を並べた、ちょっと前の言い方をすると“クラブアンセム”を目指したクラブレゲエトラック『L.A. Love (la la)』をリリース。
普通に歌うことも、ラップもジャズ風歌唱もできるFergieだが、今度も芸の幅広さを見せつけている。



Gwenは2012年のノー・ダウト再結成が商業的成功につながらず、落胆したと伝えられている。
"Everyone is relying on me for something. I'm not someone who likes to let people down."
と、バンド仲間や家族、友達からヒットを期待されたのに応えられなかったときの心境を語ったGwen。
Pharrellと再び組んだ次回作に期待したい。



2014年10月28日火曜日

テイラー・スウィフト「シェイク・イット・オフ」のビデオのパロディ性

Avril Lavignの『Hello Kitty』、Lily Allenの『Hard Out Here』と共に人種差別的だと批判されているTaylorの『Shake It Off』のビデオ。
三作品とも、差別のためではなく寧ろ差別のパロディとして日本人や黒人を配置していることは一目で分かる。



3LWの『Playa's Gon Play』を彷彿とさせる歌詞のこのTaylorのビデオの場合は単なるパロディに終わらず、登場人物たちとTaylorの立ち位置に対比が見られる。
背後の人たちは、彼女の大衆性を表現するために配置されているのだ。



多くの人間はバレエも創作ダンスも踊れないし、ヒップホップカルチャにも属していない。
チアリーディングで空中を舞う自信もなく、近未来的なR&Bの世界とも無縁だ。
彼女はその全てにおいてアウトサイダーであり、ぎこちない。



しかしながら、ユニクロかGAPの宣伝みたいな、清楚で落ち着いた灰色の服に身を包む彼女は自信を持ってバンドと共に歌を歌っている。
新体操もヒップホップも踊れないけれど、私は私。
だから気にしない(shake it off)。



ブラックミュージックを演奏するのに、黒人文化出身である必要はない。
しかし依然として、音楽業界はイメージを大事にする。
普段着ているものを着て音楽をやるのではなく、アーティストの出自にドラマを持たせて、説得力を高めようとする。



だからAdeleが小学校の一時期、クラスに自分以外は黒人しかいなかったなどというエピソードが広まる。
そのエピソードは本当だと思うが、大事なのは真偽ではなく、それが彼女がブラックミュージックを歌うことの資格を与えるという面が問題なのだ。



差別などというけれど、スラムで育ったりドラッグディーラーとつるんでいたり、普段着がスウェットに高価なスニーカーじゃないと、ブラックミュージックアーティストとして説得力に欠けると人々は思っている。



そして、Lily Allenの『Hard Out Here』やTaylor Swiftの『Shake It Off』はそういった現実をパロディー化しているように思う。
そしてありのままの自分でありのままの表現をすることの大切さを体現しているように見える。



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【補足】

  • Taylorの『Shake It Off』は80年代のエアロビ番組のパロディであるという見方も存在する。 (2014.11.11記)

2014年10月24日金曜日

Jodebという映像ディレクターに注目

昨今はTinasheやJhene Aiko、Banks、FKA Twigsみたいな暗くアングラな音づくりをするR&Bが流行っている。
スローテンポでFlying Lotus的なベース音、EDMでよくあるようなシンセサイザーの成すフレーズが特徴であり、ボーカルもエコーが多めにかかっていて、神秘的である。
The WeekendやFrank Oceanがつくった潮流であろうか。
あるいはFlorence and the MachineやJames Blakeなどにも影響されているかもしれない。



その神秘的R&Bの新星、Tinasheのシングル曲「Pretend」のビデオを見た。




どこかで見たことがある映像の類型を感じた。
それはZeddの『Clarity』とNe-Yoの『So Sick』だ。
カメラが人物に迫っていく感じと山や自然が感じられるところが似ていると思った。



調べてみると、やはりZeddの『Clarity』は同じディレクターのビデオだった。
ディレクターの名前はJodeb。
カナダはケベック州の出身だ。



Jodebの手掛けた作品

  • Cypress Hill & Rusko 「Roll it, Light it」
  • Deftones 「You've Seen the Butcher」
  • Underoath 「Paper Lung」
  • The New Cities 「Dead End Countdown」「Leaders of the Misled」「Looks Minus Substance」
  • Porter Robinson 「Language」「Lionhearted」
  • David Usher 「Je repars」
  • Zedd 「Clarity」「Find You」
  • Unberlin 「Unstable」
  • Sebastian Ingrosso & Tommy Trash 「Reload」




見てみると、Tinasheの「Pretend」なんかは一番おとなしい感じのビデオだ。
山の崇高性が作品に奇妙な神秘感を与えている。
しかし、彼のビデオの主な特徴は大きな自然を高画質に映すことではなく、Sci-Fi的な世界観と工数の多そうなデジタル映像処理だ。



Cypress Hill & Ruskoの「Roll it, Light it」やPorter Robinsonのビデオなんかは大変手間がかかっていそうで見応えがある。

イメージビデオとして空間に流すだけで、一種のインテリアデザインになるくらい、もはや音楽ビデオの枠組みを超えてしまっている。



個人的に一番好きなのはUnderoathの「Paper Lung」だ。




最初はおとなしめだが、雪原やお墓、大海原などのやはり「景色」でイメージ作りをした後の、後半が圧巻である。
シャウトと共に映像が赤に反転、明滅し、様々なシンボルが切り替わる。
感傷的な映像や破壊的な演出で終わりがちなハードロックの印象を変える作品ではないだろうか。



・・・



ちなみに、残念ながらTinasheとは関係のなかったNe-Yoの「So Sick」はHype Williamsというアメリカの映像ディレクターの作品だった。
調べてみると、TLCの「No Scrubs」やMissy「The Rain」、Left Eyeの「Block Party」を手掛けるなど、大御所もいいところ。
元祖未来系R&Bの映像をけん引した御仁だった。

2014年10月23日木曜日

フィラー(充填材)という概念

世間話の上手な人と話していると、前にも訊かれたことのあることを質問されることがある。
彼らの表情を見ていると、こちらの答えを訊きたいのではなくて、空間の静けさを埋めるまたは、次なる会話のための踏み台のようなものであって、こちらの答えを聞いて頭で理解している風ではない。



その場合の質問は「フィラー(充填材)」だったのだ。



フィラーといえば、軟膏に入っているワセリンや歯の詰め物に入っているガラスやセラミック、粉薬の大部分を占めるでんぷんである。
音楽で言えば、フィラーはJanetのアルバムの曲数を埋めるスキットや記憶に残りにくい曲として存在する一方、Lordeのデビューアルバムにおいては批評家から「the album completely lacked filler tracks」と評されるほど、出番がなかった。



Truth Hurtsはデビューアルバムに収録されている『Queen of the Ghetto』という曲で
What's up with these mark ass bitches
talking about their album is crazy, go cop my joint
Then only 1 song is worth listening to
and even that is shit so 3 years ago
と、同業界のシンガーたちの聴く価値の曲の少なさを批判していた。一曲しか聴く価値がないとは、残りの十数曲がフィラーということである。あっぱれな批判ぶりだ。



充填材は主成分の少なさを補うために存在する。
それ自体の効能はほぼない。



しかし、音楽アルバムで地味だと思っていた曲が段々と中毒的に頭の中に残り、好きになったことはないだろうか。
そう、実は音楽にフィラーはない。
何故なら音楽は心の持ちようやフッとした気の迷いで受け取り方が変わるものだからだ。



Lordeのアルバムは全曲、ほぼ同じような曲のつくりである。
往年のポップアルバムの様に、暗い曲があったり様々なジャンルに挑戦したりはしていない。
それゆえ、フィラーがないというよりは、全曲同じような分野の曲で、それがその批評家の趣味に合ったというだけのことだと言える。

2014年10月6日月曜日

洋楽の国内盤発売が遅い件

洋楽を聴くときはいつも国内盤CDを買っている。
日本に住んでいると、外国のアーティストがカジュアルにテレビやラジオに出演したり、雑誌のインタビューに答えたりするのを見ることができない。
そのため、国内盤同封の解説を重宝する。



経験上、解説を読んでからアルバムを聴くのと、歌詞すらない輸入盤のアルバムを聴くのは、全然作品全体の捉え方が変わる。
それは美術館でも言えることで、展示の説明を読まないで絵を見るのと、読んでみるのとでは解釈が全然違う。



だから僕には作品自体よりも解説を楽しみにしてる部分があるのだが、この国内盤CDについて、最近よく思うことがある。
それは洋楽の国内盤発売が遅かったり、発売自体がなかったりすることだ。



気になった国内盤未発売および遅れ
  • Lorde / Pure Heroin (欧米から4か月遅れて発売)
  • Iggy Azalea / The New Classic (2014.12.10発売。欧米に遅れること8か月)
  • Sam Smith / In The Lonely Hour (2015.1.21発売。欧米に遅れること7か月)
  • Sia / 1000 Forms Of Fear (2014.12.24発売。欧米に遅れること5か月)
  • Jessie J / Sweet Talker (未定)



たった5例だが、それでも英語圏では有名な受賞作ばかりだ。
思い込みかもしれないが、10年前はこんなことはなかった気がする。
売れなさそうな洋楽CDですら国内盤が発売された。
それが今では良作ですら国内盤が発売されていない。



発売の時間差は映画業界には元々見られる戦略で、洋画は本国での放映から遅れて日本での配給先が決定し、字幕スーパーがつきプロモーションとともに放映される。
音楽もそういう傾向にあるのだろうか。
単に全然売れないので、国内盤発売を減らしているのか。
あるいは、日本国内ではなく、現地でのやり方が変わってそれが日本にも影響しているのか。



いずれにしても本国での熱が落ち着いたころに国内盤を発売しても仕方ない気がする。
レーベルに分かってほしいのは、CDが売れないのは音楽の楽しみ方が変わってきているからだけれども、CDを聴く人はまだ沢山いるし、音楽自体の質が悪くなったわけではないということなのだが。

2014年10月3日金曜日

ロードの音楽はロックなのか

MTV Video Music Awards 2014で、LordeはBest Rock Videoを受賞した。
これには一般の視聴者もファンも驚いた。
確かにちょっと服装がゴシック調だけど、音楽は全然ロックではないではないか。



それで色々調べてみた。
ロックに分類される原因となりそうな要素を箇条書きにする。



  1. 以前、ロックバンドを組んでいた。
  2. パンクバンドのボーカリストであるJoel Littleがデビュー作の主要なプロデューサーである。
  3. Nirvanaと演奏をしたことがある。
  4. 他のアーティストのことに批判的に言及する。


こう見ていくと、やはりプロデューサーの力が大きいだろうか。



消去法説
積極的にロックに分類されたのではなく、消去法でロックに分類された可能性もある。
ポップ/ロックには入るだろうけど、どちらかと言ったらポピュラー(大衆的)な感じはなく、反骨精神があるし、服の色も黒いのでロックとされたのかもしれない。



とはいえ、1stアルバムはLana Del Reyを参考に作られたのであって、ファンもLana Del ReyやJessie Wareの「Wildest Moment」の延長のような、シンプルなビートとボーカルに現代批判的な歌詞を乗せたストリートライクな音楽として受け止めたはずだ。



あれをロックと言ってしまうと、ロック愛聴家も黙ってはいられない。そういうリスナー不在の放送局やレーベル、音楽団体の勝手な方針に、どれほどのファンが付いていくだろうか。



一部には「MTVがVMAsで、Ariana Grande、Katy PerryとLorde全員に賞をあげたかったからではないか」といった憶測も出ているが、そう思われても仕方がないくらい、Lordeの1stがロックと分類されるのは違和感があるのだ。

2014年8月31日日曜日

MTV VMA 2014

8月24日、MTV Video Music Awards 2014が米カリフォルニア州イングルウッドで行われた。
自分的に面白かった点は以下。



  1. Nicki Minajのパフォーマンスを唖然とした顔で見るRita Ora。Ritaって結構Rhiannaの刺客的な立ち位置だと思ってたのだけど、Nickiの巨尻の振動に完全に引いていた。品格を重んじる英国育ちにはきつかったか。それともこれはNicki VS Iggyのビーフの延長で、Iggy側のRitaとしてはそういう目つきになってしまったのか。
  2. Jessie J、Ariana Grande、Nicki Minajの“Bang Bang”におけるJessieの存在感と、ドレスを気にしてフライトアテンダントばりの不自然な良い姿勢でラップするNicki。
  3. ホームでの開催で威厳を放つSnoopとGwen Stefaniの西海岸組のBest Female Videoプレゼンター。更にKatyが受賞し、完全に西海岸組がステージを制圧する。
  4. 昔の大衆音楽みたいな、品質がほんわかゆるめなTaylor Swiftのステージ。
  5. Adeleのステージを彷彿させるSam Smithのシンプルなショー。
  6. いつの間にやらKatyの隣に座っているSam Smith。
  7. 喋らせるとやはり何かがおかしいLorde。
  8. 仕込み感があるけど、でも面白いJimmy Fallonのプレゼンでの催し―Hug cam、high five cam、give the person next to you 5 dollars cam。
  9. 今年はチャリティー、Miley Cyrus。
  10. ビヨンセの10分以上に及ぶビデオショー。



ところでここ数年のVMAのプレゼン映像が好きだ。
やはりアメリカはグラフィック制作技術の頂点の国だし、たかだか数秒の映像にも趣向を凝らした本気の作品を使うのだろう。



今年は地層学的な図表で見そうなデザインの円環状のものが海に浮かんでいる映像だった。
よく見ると、次に紹介するビデオに登場する色に合わせたレイヤーの円環となっている。
Siaの「Chandelier」は肌色、ピンク、クリーム色、Beyonceの「Drunk in Love」はグレースケールだ。



なぜ地層的な円環なのだろう。
そういったビデオがあったわけでもなく、流行があったわけでもない。
と考えると、地層はカリフォルニアの干ばつにより露わになったダムの山肌、円環は会場のThe Forumが丸いからか、ご当地のドーナツ屋さんRandy's Donutsのシンボルではないかという、かなり強引なこじつけを思いついた。



でもデザイナーの着想って、わりと論理ではなく感覚的なところがあるから、あながち間違いでもない気がした。




2014年8月20日水曜日

ファレルの曲の始まり方が一辺倒な件

あるとき、Paloma Faithの『Can't Rely On You』を聴いた後で、Jennifer Hudsonの『I Can't Describe』を聴いたときのこと――。


Pharrel Williamsがプロデュースしたこれらの曲を聴いていて、既視感ならぬ既聴感を抱いた。
どちらも同じく、四拍のビートを最初に挟んでから曲が始まる。


他にこういう始まり方をする曲といえば、パッと思い浮かぶのはGnarls Barkleyの『Crazy』やEveの『Figure You Out』くらいだ。


まさかPharrellのプロデュース曲はこんな始まりばかりなのではないか。
そう思い立って調べてみた。


すると、あるわ、あるわ、最近だけでなく数年前からこの手の技を使っていたようだ。
ここにPharrellプロデュースの主な四拍のビートで始まる曲を列挙したいと思う。

Kelis - Milkshake
Usher - Twisted
Conor Maynard - Contrast
Pit Bull - Jeaulouso
Gloria Estefan - Say Ay
T.I. - Hello
Kelly Rowland - Feet To the Fire
Jay Z - BBC
Mayer Hawthorne - Reach Out Richard
John Legend - Aim High
Nelly - Maryland, Massachusetts
Miley Cyrus - 4 x 4, #GetitRight
Kylie Minogue - I Was Gonna Cancel
Robin Thicke - Blurred Lines
Azealia Banks - ATM Jam
Paloma Faith - Can't Rely On You
Jennifer Hudson - I Can't Describe

更にPharrell本人の曲だと
How Does It Feel?
Raspy Shit
Best Friend
Angel
Young Girl/ I Really Like You
Take It Off
Stay With Me
Happy
Marilyn Monroe
Brand New
Hunter
Happy
Gust Of Wind
Know Who You Are


こんなにあるのだ。
数えてはないが、全プロデュース曲の半数近くはあるだろう。


このことは複数のインターネットメディアが報じていて、中には「Pharrell can't write good intro」などという声もあるようだ。


一方で、これはPharrellの落款だという意見もある。


音楽における落款と言えば、Rodney JerkinsやMissy Elliottなどのプロデュース曲で本人や歌手が「Dark Child」や「Missy」などと名を囁く、あれだ。


Pharrellの場合は名乗ることもなく、四拍刻んでから始まる。
音楽を奏でる者、音で勝負ということだろうか。


この四拍は一体何か、考えてみる。
楽器でこういう音を出すことがあるのは、ドラムだ。
曲を始める合図に、スティックで拍を取る。
それなら、この四拍のビートはフロアに対する準備の合図か。


では、この効能はなんだろう。
四拍打つことで、後の疾走感の予兆を伝えてくれる。


多分それは、ジェットコースターやF1のスタートシグナルなどの興奮体験を彷彿させるからではないだろうか。


しかし、これだけお決まりの始まり方をしてしまうと、四拍のビートから曲が始まることが「Pharrell」と呼ばれる日が来るかもしれない。
頭に巻くターバンがアフリカでBaduと呼ばれたことがあるように。

2014年8月2日土曜日

レディー・ガガとアンディ・ウォーホル

Lady Gagaが出てきたとき、若い世代からは斬新だと受け止められたが、その他の世代では色々な人が既視感を訴えた。
Madonnaは
She is obsessed with me
と言い、Grace Jonesは
I'd rather work with someone who is not copying me
と突き放した。



それはまるで、映画『千と千尋の神隠し』が上映された後に、複数の観光地が映画の舞台になったと主張したときのようだ。
結局映画の世界観はどの候補地にもどことなく似ているが、瓜二つの場所はなかった。
Lady Gagaも同様に、Madonnaの生き写しでも、Grace Jonesの後釜でもない。



しかしながら、彼女がもっともっと強く意識して模倣した人がいた。
それがAndy Warholである。
彼女のデビューアルバムはGaga本人は「80年代、ニューヨーク、執念」がテーマだと言ったが、それはさしずめAndy Warholという現象そのものであった。



3rdアルバム発売に際し、公式に「The intention of the album was to put art culture into pop music.」であるため
ARTPOP is reverse of Andy Warhol.
だと述べたGaga。
1stのAndyの模倣を知っている人には、これ自体には新鮮味はない。



Andyの名言集『とらわれない言葉』(アンディウォーホル美術財団編、青志社、2010年)からの言葉とGagaの1stの歌詞を見比べてみよう。



プラスチックについて
p118
ロサンゼルスが好きだ。ハリウッドが好きなんだ。美しいよね。みんなプラスチックみたいで。
僕はプラスチックが好きなんだ。僕もプラスチックになりたい。

PAPARAZZI
Real good, we dance in the studio
Snap, snap to the shit on the radio
Don't stop for anyone
We're plastic but we still have fun

BEAUTIFUL DIRTY RICH
We live a cute life
Soundfanatic
Pants tighter than plastic, honey
But we got no money



名声について
p166
誰もが15分間なら有名人になれる、いずれそんな時代がくるだろう。

THE FAME
I can't help myself
I'm addicted to a life of material
It's some kind of joke
I'm obsessively opposed to the typical
All we care about is, runway models, Cadillacs and liquor bottles
Give me something I wanna be, retro glamour
Hollywood, yes, we live for the fame
Doin' it for the fame
Cuz we wanna live life of the rich and famous



Andyはこれだけにとどまらず、ファッションや最新機器などについて、時代の先端的思考を持っていた。
Gagaはそれを再利用し、イビザのクラブ風の音楽に乗せて、クラブ文化と融合した。
有名になりたいという欲望が、SNSを通してさらに黒い怪物と化すのは、Gagaデビューからすぐの先進国でのことだった。
リバイバルとはいえGagaのコンセプトは、テレビが人々の注目を集めたAndyの時代と違い、SNSが人々の名声欲を強める時代を先読みしていたかのようであった。

2014年7月14日月曜日

平面的CG系の音楽ビデオ

ブルーバックやグリーンバックの前で歌手を歌わせて、背景に映像を追加する音楽ビデオは古くからあった手法だ。
他の音楽ビデオの撮り方といえば、街中で歌って踊るものや、美術担当の人がセットをつくってそこで歌って踊るものがある。



街中で撮影を敢行するタイプのビデオが一番製作費が安そうだが、グリーンバックもなかなか安そうに見える。しかし、今は反対にその安っぽさを利用してDIY的なプロモーションビデオをつくる人もいる。



ノルウェーの男性シンガー、Bernhoftの新しいビデオが、きゃりーぱみゅぱみゅ的なグラフィックのビデオだったため、こういったグラフィック重視の音楽ビデオを調べてみた。




恐らく70年代~2000年代を調べればもっとあるだろうが、いかんせん昔の音楽に詳しくないため諦めた。また、他ジャンルであればもっとあろうが、それも詳しくないの諦めた。



グラフィカルな音楽ビデオ(ABC順)

Azealia Banks / Atlantis
安っぽい。「アトランティス」ということで海がベースになっているが、登場するものがナンセンスでシュールレアリスムス的。

Basement Jaxx / Back 2 the Wild
彼らにしては珍しいタイプのビデオだと思ったのだが、「野生時代に戻ろう」ということで古代がテーマ。やはり見せ方がクラブライクというか、チカチカする色合いをしている。

Bernhoft / Wind You Up
前出のノルウェー出身の男性シンガー。ロックバンド出身とは思えないソウル寄りのポップ歌手としてソロ活動をしているが、この曲でグラフィカルビデオデビュー。一応場面が歌詞と連動しているが、手や唇が多用されているのが特徴。彼自身も体を張って色々な表情を見せている。

Black Eyed Peas / Like That ft. Q-Tip, Talib Kweli, Cee-Lo, John Legend
インディーズのヒップホップバンドのアルバムみたいな、カーキ色・赤紫色・こげ茶色の親しみやすい色使いで、グラフィティ的な映像を展開している。

Cheryl Cole / Fight For This Love
「この愛のために戦う」というテーマにより、赤・黒・白といった古代の祭祀的な色を使って、もやや血しぶきを思わせるような色の塊が散見される。

Gnarls Barkley / Crazy
白い紙にインクで描いたような左右対称のCee-LoとDanger Mouseが展開される。切り替わりが早いので、見ていても飽きない。

Jamie Cullum / Get Your Way
イギリスのジャズシンガー、Jamie Cullumが弄ばれるビデオ。大学で英文学と映像を学んだ彼。今作は何かのオマージュなのか、是非尋ねてみたい。

きゃりーぱみゅぱみゅ / にんじゃりばんばん
日本からのエントリーはきゃりーぱみゅぱみゅ。基本的に彼女のビデオはセットでの撮影が多く、平面的な展開が多く、意外とフル合成作品がない。彼女のヒット作「PONPONPON」は沢山の人を魅了したが、実際あのナンセンス&カラフルな世界観は先のAzealiaやBasement Jaxx、Bernhoftのビデオにも影響しているのではないかと思う。

Lily Allen / Sheezus
イギリスの現代批判的な作風の歌手、Lily Allenの復帰作からのシングル。ストリートライクな格好に、赤や青やピンク、紫のエフェクトがかかって、多少目に刺激的なつくりになっている。

Madonna / American Life / Get Together
初めに作ったアメリカ社会に風刺的だったビデオが発禁になった関係で、急きょ作った代理のビデオが今見られる「American Life」のビデオだが、万国旗の前で歌うマドンナというシンプルなつくり。「Get Together」は彼女のライブ映像を赤紫のエフェクトで世界観を再描写したもの。

Matisyahu / King Without A Crown
ユダヤ系レゲエシンガーのMatisyahuの初期のシングル曲。茶色や灰色の背景に、黒で描かれるバンド、白地の歌詞。社会派ラッパー的なアプローチをとっている。

M.I.A. / Galang / Jimmy / XXXO
スリランカ系のイギリス人芸術家・歌手のM.I.A.。元々ファインアーティストで、他のアーティストのアルバムカバーや映像を担当していた。「Galang」は彼女の初期作品である戦争をモチーフとしたステンシルアートを背景としていて、「Jimmy」は音に合わせてインド風の振り付けを行い、「XXXO」ではペガサスや薔薇、白鳥、湖などが登場し、ファンタジックでアダルトな世界観を展開する。決してナンセンスではなく、セクシーでない女の子が、彼氏にセクシーな女になるよう求められるという当惑を上手く表している気がする。

Rihanna / Rude Boy
前にも投稿したMelina Matsoukasがディレクターを務めたRihannaのビデオ。当初「M.I.Aっぽい」と批評されたが、Melinaは「ラスタの文化と80年代ATARI(アメリカのビデオゲーム会社およびそのソフトウェア)にインスパイアされている。」と語っている。やっぱりこういう構図や色使いを用いると誰もがM.I.Aっぽいと思ってしまう。

Rye Rye / Boom Boom
M.I.A.のレーベルからデビューしたラッパーのRye Ryeのシングル。コンピュータグラフィックスの安っぽさを利用したビデオで、2D格闘ゲームでRye Ryeが勝ち進んでいく話だが、歌詞とは全く関係ない。

Santi Gold / Big Mouth
長らくライティングを担当し、音楽業界の裏方にいたSanti Goldの二作目からのシングル。色鉛筆で手書きしたような背景に、彼女とアフリカンダンスを思わせる踊りを踊るダンサーたちの平面的構図。色の点滅などが激しく、目に刺激的。

Will I Am / Feelin Myself ft. Miley Cyrus, Wiz Khalifa, French
Will I AmおよびBlack Eyed Peasが最新テクノロジーを好んで使ったり、未来的な描写を好むようになったのはいつからだろう。今作もデジタルな世界観をモチーフとしたグラフィックが展開される。



CG合成のビデオは、セットではつくるのが難しい世界観を描写したり、予算を低くビデオをつくるのに役立っている。

2014年7月5日土曜日

グレースケールのCDジャケット

Joss Stone、Adele、Duffy、Emeli Sande、Jessie Ware、Daleyなど最近のソウルから影響を受けたブリットポップのCDアートワークには、白黒などのモノクロームデザインが多いなと感じる。




このアーティストたちの共通点は今最先端の音楽を追及するというより、昔のリズム&ブルースや90年代のヒップホップの影響を受けたソウルといったグルーブ感やリズム、メロディが豊富だったブラックミュージックを踏襲しているといったところだろうか。




あまりにもモノクロデザインが多いので、もはやグレースケールのアルバムジャケットを見ると、「大体こんな音だろうか」と想像ができるくらいである。
ジャケットはアーティストのイメージのほか、アルバムのコンセプト、イメージも伝えるので、とても大事だ。
アーティスト写真なんかよりも、ファンや視聴者にとっては断然アルバムジャケットの方が眺める時間が長い。




試みに上記のアーテイストを担当したアートディレクターを調べてみたが、全員違う。ということはやはり白黒の二色使いはある種のお決まりとなっている可能性がある。特にJessie Wareのデビューアルバム「Devotion」を担当したKate Morossoは、普段はビビッドなポップアート的アプローチを採るアートディレクターである。そんな人がJessieのアルバムにあえて白黒を採用したのだから、間違いない。




Adeleの「19」、「21」のデザインを担当したPhil Leeは「最近挑戦したことは何か」と訊かれて、
“In recent times, it was convincing Adele to go with my suggested shade of green for numerals on the 21 album cover.”
と答えていた。




確かにAdeleの「21」には白黒の他に、数字に暗めの黄緑色が差し色として使われている。
Adeleはこんな1色にもこだわっているのだなと感心した。
「19」のアートワークの色使いはロイヤルミルクティーの色と白黒だった。彼女のブロンド、肌、数字、そしてCDの色がすべて近似色だった。




Mark Ronson系のごりごりのback to basicsでもなく、ちょっとだけ古いくらいのGood Musicを採用するアーティストのジャケットは今後も白黒の二色使いが増えそう。

2014年6月23日月曜日

エイミー・ワインハウスと男と快楽

Amy Winehouse(1983-2011)
出身:Enfield, Middlesex, UK
歌手活動:2003-2011
作品:アルバム2枚



<2011年に訃報を受けた後の各人の反応>


Kelly Osbourne
i cant even breath right my now im crying so hard i just lost 1 of my best friends. i love you forever Amy & will never forget the real you!
 


Lily Allen
Its just beyond sad, there's nothing else to say. She was such a lost soul, may she rest in peace. 


Mark Ronson
She was my musical soulmate & like a sister to me. this is one of the saddest days of my life.
 


Dionne Bromfield
Forever in my heart....love you always



Jessie J
Amy not only did you set the standard for UK females music to break boundries&have;no limits. You bought honesty life to our lives through your music.I will not only be forever inspired by you but thankful we were blessed by your voice&songs;that will never be forgetten.I will not let you down.



Ellie Goulding
RIP Amy Winehouse. An incredible talent. I am really sad and sort of angry



M.I.A.
i recorded this song B4 vickileekx and never put it out. its a unfinished demo http://soundcloud.com/m_i_a-1/27-1 R.I.P A.M.Y.



Adele
not many people have it in them to do something they love, simply because they love it. with no fuss and no compromise. but she knew what she was capable of and didn’t even need to try. if she wanted to do something she would and if she didn’t she’d say fuck off. it came easy to her and that’s why we all loved her so much. we believed every word she wrote, and it would sink in deep when she sang them. Amy paved the way for artists like me and made people excited about british music again whilst being fearlessly hilarious and blase about the whole thing. i don’t think she ever realised just how brilliant she was and how important she is, but that just makes her even more charming. although im incredibly sad about Amy passing im also reminded of how immensely proud of her i am as well. and grateful to be inspired by her. Amy flies in paradise xx

 

<雑感>
Amy Winehouseの2003年時のインタビューを見た。
晩年よりも饒舌である。
米アイドルグループ、「TLC」のメンバー故Left Eyeが大好きだという。
僕も中学時代は彼女のソロアルバムを学校に持って行っていた。
それで、休み時間に歌詞カードを眺めるのである。
なんだか似た精神の持ち主を失ったようでとても残念に思う。


過剰摂取事故があるたび、向精神薬やアルコールの脅威を感じる。
第一に、本人は何がしたかったのか。
ただ、いつもより多い量を摂取しただけかもしれない。
あるいは、死ぬ気だったのかもしれない。
より多くの快楽を求めたのかもしれない。


脳の神経を直接作用するような、向精神薬。
理性を鈍くするアルコール。
これは本当に陰陽あわせもつ厄介な文明の利器だ。
痛み止めにもなるし、依存症にもさせる。
生の質(Quality of Life)を低下させもし(薬物濫用)、向上させもする(医療用途)。
一度脳が快楽を覚えてしまうと、欲求は激化する。
理性は勝てない。
理性は人間に与えられた唯一無二の特権だと思う。
これを放棄すること自体、自殺行為である。


演劇をずっと習ってきたAmy。
てっきりジャンキーを演じているのだと思っていた。
でもそうじゃなかったということは、きっかけを考えると、多分男が原因だろう。
椿鬼奴が男の影響でパチンコを始めたように。
僕の女友達が男の影響で「鉄拳」を始めたように。
酒井法子も小向美奈子もWhitneyも。
男で女は変わる。
のめりこんだ恋の場合は特に。

2014年6月10日火曜日

時間がない歌手、ネリー・ファータド

カナダの歌手、Nelly Furtadoと聞けば、何を想起するだろうか。

自由、強い意志、若者の揺らぎや過ちなどをテーマにした歌詞に、レゲエの影響が垣間見れる鼻にかかった牧歌的な明るさを帯びた歌声。

カナダという多文化国家におけるポルトガル系出自という民族性が、マイノリティ的反骨精神を生みだしている。

マイノリティであるが故に、それを完全肯定して謳歌する。
「Well, Well」、「I'm Like A Bird」、「Fresh Off the Boat」、「The Grass Is Green」はそんな足場のない浮遊感を高みに変換して、陽気に世間を見下ろしたような曲である。

「Trynna Finda Way」、「Picture Perfect」、「Saturdays」、「Bucket List」は強固なアイデンティティがないが故の「自分探し」と、その中での揺らぎを歌った曲。

若さの中で荒ぶる感情と、ありあまる時間をもてあそぶ欲望をテーマにした「Explode」、「Parking Lot」。

でもやはり夜には孤独と恐怖が影を降ろすのは
「Turn Off the Light」、「Scared of You」「One-Trick Pony」、「Afraid」、「Enemy」で歌に込めている。

こう俯瞰すると、すべての曲に孤独が共通している気がする。
そして、その中でよく出るフレーズがある。
それは「時間がない」ということだ。

こんな言葉は、テレビの中の婚期を逃した自虐的な女性タレントかネリーの口からしか聞けない言葉だろう。

まさにこの言葉が、彼女の人生観を表している。

「時間がない」=老いる

若さに重きを置いた生き方。

これはいかにも現代アメリカ的な生き方である。
Ellen Degeneresもグラミー賞授賞式の司会の際に

「I'm not saying movies are the most important thing in the world because we all know the most important thing in the world is youth.」
と言っていた。

何度も同じことを何年も繰り返し鍛錬し、成熟を図る「道」の文化をもつ日本では、
まだアメリカほど若さが重視されていない。

若さに生きるのも一つの生き方、老成するのも一つの生き方。

2014年5月16日金曜日

ハローキティとデ・ステイル

「Cool Japan」に「Harajuku Kawaii」。
政府や企業が後ろ盾になり、サブカルチャーを発信する。
そうして、外国人に気に入られ、不動の人気を誇るようになったものは数多く存在する。
その中に株式会社サンリオのキャラクター、ハローキティがいる。


ハローキティの誕生は1974年。
当初は女子児童向けキャラクターだった。
その後70年代おわりに人気が低迷するも、何度か一時的ブームが起こり、90年代後半には、華原朋美のキティ好き発言により、若者の人気が再発。


華原朋美と言えば、全盛期に「原宿で一人で牛丼に行く」と音楽番組で語っていたのを覚えている。
「つゆだく」、「だくだく」などの用語を楽しそうにタモリに語っていた。


うら若い女性が、一人で原宿の牛丼屋に行く。


このキャッチコピーのような一文だけでもかなりブームメイカーとしての素質を感じる。


「うら若い女性が一人で飲食店に行く」
ここでまず、彼女のユニークな行動力が露呈している。
行先は「牛丼屋」。
女子だからヘルシー志向かといえば、別にそんなことはなく、牛肉の乗ったどんぶりというギャップ。
場所は「原宿」。
場所の選択が完璧である。若者文化の最先端を行く場所の一つ。


そんなセンスの良さを兼ね備える華原朋美がキティ好きと言えば、フォロワーが後に続かないわけがない。


海外に関して言えば、香港、台湾、シンガポールなどではマクドナルドがキャラクターとして使用し、キティのぬいぐるみの付録が出るなどし、人気を博した。
そうしていくうちに、原宿文化が海外に伝わり、その際原宿にあるキディランドのおかげで欧米にも伝わったのではないだろうか。


なぜこうもハローキティは人気なのか。
同じ世界的人気キャラクターにミッキーマウスが居るが、大人にとってはイメージとして、どうしてもディズニーという会社がちらつく。
しかし、ハローキティはそこまでサンリオの影がなく、色々な商品にてお目見えしていて、Zippoやワインなど、子供向けキャラクターにしてはファンキーな性格も帯びている。


そうした寛容さに加え、何と言ってもあの口のない子猫というシルエットの汎用性が強みだと言える。女子の象徴であるリボン一つで、性別の表現をするという抽象性。
色彩も黒い主線に赤、黄、青、たまにピンクというユニバーサルなものを採用。


しかしながら、やはりまだもう一人、キティ人気の影に潜む強敵がいると思う。
ミッフィーだ。
太い主線に、ミニマリスティックな描写、色使い。
どうしても似ていると言わざるを得ない。


実際、サンリオは「キャシー」というキャラクターに関して、ミッフィーの著作権管理会社「メルシス社」に著作権侵害で2010年に提訴されている。
その後、東日本大震災を機に両社は和解したが、たとえ直接的にハローキティのデザインがミッフィーを全く参考にせず作られたにしても、様式として似ている。


ミッフィーの生みの親、ディック・ブルーナはオランダのグラフィックデザイナーである。
その作品はオランダの芸術運動、「デ・ステイル」に影響を受けている。
主線、幾何学性、簡単で限定的な色数、最小限、そういった美的様式を汲んで、ミッフィーが生まれた。


ハローキティがミッフィーに似ているということは、ドイツのバウハウスのみならず、日本にも「デ・ステイル」の影響が及んだとも考えられるのではないか。

2014年5月6日火曜日

アヴリル・ラヴィーンの新曲の日本人像

Avril Lavignの新曲「Hello Kitty」が不評である。
ぎこちない踊り、意味のない歌詞、ロボットみたいな日本人バックダンサーという意味不明さが原因だそうだ。




真顔あるいは、仮面のような作り笑顔の日本人はアメリカ映画や音楽ビデオにたまに登場する。
Gwen StefaniがHarajuku Girlsを従えてソロ作品を発表した時も、「人種差別的だ」と批判された。



今回のAvrilのビデオも人種差別的だと批判されている。
しかし、AvrilもGwenも日本の原宿・渋谷文化が大好きだということは、本人たちの弁解を聞かずしても分かる。



アメリカ人にとって、日本人はどうみられているのだろうか。
映画「Kill Bill」のGo Go Yubari、菊池凜子演じるの多くの役、Harajuku Girls。
彼らの特徴は表情をあまり変えず、おとなしく、どちらかといえば従順な感じだろうか。
列があれば列に並ぶし、人ごみでも押し合うことはなく、待てと言われればいくらでも待つ。
そういう感じだろうか。



そういう無表情で、おとなしく、従順な人種像を究極化した形がHarajuku Girlsであり、Avrilのビデオのバックダンサーなのだと思う。
もちろんその中では原宿文化が取り上げられており、Avrilの場合はハローキティが特集されているが、それは本稿の趣旨ではないので、またの機会に。

2014年5月4日日曜日

2010年頃に流行った映像ディレクターMelina Matsuokas

YouTube探索中に見つけたので、調べてみた。


Melina Matsoukasは南米系ギリシャ人の映像ディレクター。
ニューヨーク大学での専攻は音楽映像。


彼女は音楽映像についてこう述べている。
"A good video has the right visuals, a well conceptualised story and should be
exciting and elicit reaction."




彼女の手がけたPVを大別すると、7つに分かれる。
 ①オールディーズ系
  例:Beyonce / Why Don't You Love Me
    Lily Allen / Not Fair
    Katy Perry / Thinking Of You
    Snoop Dogg / Sensual Seductions
    Ashanti / Good Good
    Anouk / Modern World


 ②フューチャリスティック系
  例:Ciara / Go Girl
    Ne Yo / Closer
    Keri Hilson / Return The Favor
    Kylie Minogue / Wow


 ③ポップアート系
  例:Solange / I Decided
    Rihanna / Rude Boy
    Kylie Minogue / In My Arms


 ④プロレタリア・ミリタリー系
  例:Rihanna / Hard
    Ciara / Work / Gimmie Dat


 ⑤モノトーン系
  例:Beyonce / Suga Mama / Diva
    Rihanna / Rockstarr 101
    Elektrik Red / So good


 ⑥シュールレアリスムス系
  例:Beyonce / Kitt Kat / Sweet Dreams


 ⑦ラグジュアリー系
  例:Lady Gaga / Just Dance / Beautiful Dirty Rich
    Robin Thicke / Sex Therapy
    Whitney Houston / Million Dollar Bill
    Eve / Tambourine
        Beyonce / Upgrade U




これだけあるとかなり業界に貢献している人の一人だと言えるのではないか。
僕が彼女を知ったきっかけはRihannaのRude Boyの音楽映像。




M.I.A.制作かと思ったら、違った。
M.I.A.も映像をカレッジで学んだ口である。
現代アートを学んでいなければ、クラブレゲエにキース=へリングはないだろう。
ビビっと電撃が走った。

2014年4月27日日曜日

財布にドーナツを付ける国

徐々に、海外に伝わりつつある、日本の渋谷・原宿の服装・小物・デザイン。
海外の歌手たちも渋谷での買い物を楽しんでいるようだ。


元Pussy Cat Dollsのボーカル、Nicole Scherzinger。
彼女も渋谷の109で大はしゃぎしたアメリカの歌手の一人。


ずんどうなブーツを履いて
Surely it makes me look like the biggest ankle in the world but...No?
へんてこなイヤリングを見て
Now I know I'm in Japan!


彼女は「女子高生が財布にドーナツを付けてる。人と違うことをして、自分を主張している」と言う点で渋谷を評価する。


2014年2月にきゃりーぱみゅぱみゅと初めて対面したAriana Grandeも、その魅力について、
「Because you're different!」と言っていた。
人と違うということが、そんなにも彼女たちを興奮させるものなのか。


きゃりーぱみゅぱみゅの「ponponpon」に見られるようなごちゃごちゃ感。
swimmer、6%DOKI DOKI、ロリィタ。
そういうものが何から来たか考えるときに、まず思い浮かぶのが、子供のおもちゃである。


やたらと子供向けのものがカラフルな国といえば、アメリカ。
ジェリービーンズに、グミ、アイスクリームから各種おもちゃまで。
渋谷・原宿の雑多感は元々そういうところをネタにしている感はある。


もう一つ影響として言えそうなのが、アニメである。
アニメの中では、ほぼ全てのパーツがカラフルである。
そうでないと、画面がつまらなくなってしまうから、
やたら紫や緑の髪の毛のキャラクターがいたりするのだ。


ジェリービーンズのようなカラフルな色彩感覚はもともと日本には存在しない。
日本にはアメリカよりも長い、色彩感覚の文化がある。
そういう国だからこそ、カラフルなものに、日本人は異国性を感じるのではないか。
変身願望とか、10代の自己実現欲求があるところに、
異国性を織り交ぜることにより、他者と差別化を図る
そこに原宿・渋谷文化が生まれている気がする。

2014年4月11日金曜日

一人でいるときに何をするか

仕事から家に帰ると、頗る落ち着く。
落ち着くということは嬉しいということであると思う。

でもその喜びをあまり、喜びとして認識していない。

金曜日の夜が一番強烈だから、
平日の夜などさほど感謝されないのかも知れない。



何故、人は仕事から帰ると落ち着くのか。

単にもはや仕事をしなくてよくなるからだけではない。

様々なものから解放される。

人の目から、制服から、制約から解放される。

一人でいる時分には、何でもしたいことができる。

全ての生理現象に素直でいることができる。

会社や電車ではあれほど厭わられる咳もし放題、放屁も、自慰も、
誰にも見せられないような恥ずかしい踊りも自由である。



しかし、この生理現象に自由な状況というのは、非日常ではなかろうか。

これはつまり、家に居るときと休日を意味する。

学生時代であれば、それは他愛のない時間である。

しかし、まさにその理由によってか、その大切さが分からなかった。

今や家にいる時間は大切な非日常である。

勿論、これ自体が価値なのではない。
仕事にでることが陽とすると家で暮らす時間は陰である。

そりゃサラリーマンのゴールがマイホーム購入なのも頷ける。




高校時代、ロックバンドのシュガーカルトのアルバムを借りたことがある。

その中の曲のいくつかに、ある決まったフレーズが共通してあった。

「一人で部屋に居る時に何をするかが肝心だ。」

確かにそうだと思った。

人は一人でいるときに、もっとも自分を甘やかす。

自分の精神への教訓のようなこの言葉が、深い自省の末、
得られたものであることはよくわかる。



同じような言葉に、
「シャワーを浴びながらおしっこをしないのがジェントルマンだ」
という言葉がある。

誰も見ていないからといって、シャワールームで放尿しない。

自分への制約である。



日常が厳しい環境にある人、あるいはストレス耐性の低い人ほど、
自制心は低い。

しかし、自制をすることで、先ほどの陰と陽の対立を和らげることができる。

2014年4月6日日曜日

リベット工員ロージー

日本の戦中の標語をご存じだろうか。
「欲しがりません、勝つまでは」
「撃ちてし止まん」
「贅沢は敵だ」
「月月火水木金金」
「万世一系 億兆一心」
などたくさんの仕方で呼びかけがなされた。





当時の敵国、アメリカはどうだったかというと、当然アメリカにもあったのだ。
"Victory waits on your fingers."
"YOU talk of sacrific. He KNEW the meaning of sacrifice."
"Stay on the job until every murdering Jap is wiped out."
"She may look clean but spreads syphilis and gonorrhea."
などなど。


兵隊志願者を募るものから、売春婦の性病の流行を注意喚起するもの。
勤労を呼び掛けるものから、食べ物を粗末にするなというものまである。



他にも当時出回った架空の人物がいる。
それがRosie the Riveter。
「リベット工員ロージー」といった意味のこのキャラクター。
いわゆる前線に立たない「銃後」を鼓舞するためのものだった。





<背景>
リベットとは鋲を打つ工程らしい。
男たちが戦地に向かい、手薄になった工場のため女たちにも求人が出た。
女の労働力がとても大事になった。





<初見>
アメリカにて1942年に「Rosie the Riveter」が発売された。
これは複数の歌手や演奏者により曲としてCD化された。
このような歌詞を含む。
All the day long,
Whether rain or shine
She’s part of the assembly line.
She’s making history,
Working for victory
Rosie the Riveter






<平行する物語>
ちょうどそのころ、ミシガン州の一人の女性が工場を立ち去ろうとしていた。
Geraldine Hoff Doyle。
彼女は高校を卒業したばかりのしがない一介の女工だった。
チェロをたしなむ彼女は手に危険な仕事をしたがらなかった。
2週間働いた工場を辞める頃、ある啓蒙ポスターのモデルになる。
それが有名な"We Can Do It!"であった。
必要以上に人員を雇えない。
だから今いる人員で工場を回さなければならない。
だから「私たちにはできる!」なのだ。



しかしこのポスターは当時、その地域に出回っただけだった。





<影響>
男性専用の仕事への女性の進出は一時的なものと見られていた。
確かに戦後、女性の就業率は下がった。
しかし、女性の社会進出体験はその後の女性雇用への大きな下地となった。
また、多くの黒人女性も採用されたため、黒人の社会進出も助けた。





<文化>
1970年代になり、女性の就業率が再び上昇する。
このときに、フェミニズムが勃興し、戦中の女性就業現象が見直される。
そして上の"We Can Do It"ポスターが初めて全国的に注目を集めた。
楽曲"Rosie the Riveter"とは無関係なポスターが、同一視され始めた。
強い女の代名詞として、"We Can Do It"は様々な人にモチーフにされた。



有名どころだと以下がある。
P!NK Raise Your Glass ビデオ
Christina Aguilera Candy Man ビデオ
Beyonce Why Don't You Love Me ビデオ





<まとめ>
Rosei the Riveterは戦争を工場から支えた女工を指す、社会現象の名だ。
これによって男性専用だった工員が女性でも出来ることが証明された。
雇用機会の性差に社会が疑問を呈するきっかけとなった。





<感想>
こういう風に見て行くと、我々は依然として「戦後」に生きている気がする。
自分は雇用機会に差別はあってはならないと思う。
しかしながら、実際は書類で、面接で落とされる。
だから働き口が見つからない人は主夫(婦)になることが生活の効率が良い。



ちなみに経済学的雇用問題では家事を行う人は非労働力には入らない。
(就職活動をしていたら失業者という枠に数えられるが)
家事はそれほど、立派な「仕事」なのだ。
だから二人寄り添って、二人分の稼ぎのある人が働き、ない人が家事。
それが理想であるが。



男女差ではなく個体差の方が大きいとよく言う。
たとえば昔は男と女では、男の方が良く働けたかもしれない。
でもバリバリ働く女と根性のない男。
(もちろんバリバリ働く男と根性のない女の方が差は大きいが)
こういった個体差が現代は広がりつつある。
性別の雇用機会が平等になれば、個体差で就職の差はついてしまう。



つまり、良く働く女に勝てない男は、主夫をする時代に近づいてきたと思う。
専業主婦(夫)のバリアフリーがもっともっと進む気がする。
あるいは、実家暮らしの子がいる両親の早期退職&専業夫婦化。
更には友達同士で住んで支え合ったりもできる。
そのようにして労働人口を循環させないと、社会は回らない。
家事をする職業を堂々と多くの人々が口にできる日が来てほしいと思う。

2014年4月5日土曜日

レディー・ガガと商業

 導入
 様々な人により、様々な文脈・遠景画の中で、様々なものについてLady Gagaとの類似が述べらている現状から、考える。

 icon
 偶像。類似記号。

 一つのものが強烈に流布することによって、様々なものをその定型にあてはめ、比較してしまうことは、流行がもたらす現象である。まさに他者を一者の「類似」として見てしまう。一者と、それをそのまま真似する人、消化して踏襲する人がそれに続く。
 そしてこの文脈で重要なのは独自性とは何なのかということ。流行のリーダーですら、前代の物からヒントを得ている。そしてその慧眼がときに、前代者や周囲の者から反感を買う。

 
 本文
 Lady Gaga。彼女は初期に自身の作品のモチーフを「80年代、ニューヨーク、強迫神経症」と述べていた。彼女が芸術を大学で専攻していたことと、その衣装などから、アメリカの現代芸術、Showbizに造詣が深いと伺える。彼女はアーティストとして真剣に捉えてもらえる商業に、アングラのマナーで乗り込むことは「Andy Warholと同じ」ことだと述べている(smash.music.yahoo.co.jp/top/repyjm00613/)。
 そして表現において自分が、過去の発明を組み合わせたり改新させて用いていることを彼女は自覚している。その引用姿勢はアカデミズムであり、現代芸術的である。現に彼女は自分が「独自」だとは思っていなくて、将来の夢として「30年かかるかも知れない」が、「オリジナリティ」を構築したいと言う(beatculture.music.jp.msn.com/archive/interview/091216_ladygaga/default.htm)。
 
 Lady Gagaを批判した人たち。まず、スリランカ人Hip Hop歌手M.I.A.。彼女はLady Gagaについて
None of her music's reflective of how weird she wants to be or thinks she is. She models herself Grace Jones and Madonna, but the music sounds like 20-year-old Ibiza disco.
 故に先進的でないと述べた(www.spin.com/articles/hot-beef-mia-disses-lady-gaga)。
 そして当のGrace Jones。彼女はLady Gagaからの共演の依頼を断ったという。というのも、彼女は彼女のコピーであり、"she's worn that I've worn, and that does kind of p*ss me off."だからだという(www.digitalspy.co.uk/music/news/a215282/grace-jones-i-turned-down-copycat-gaga.html)。
 そして似た理由でRoisin MurphyもLady Gagaを嫌う。
She took my shoulder pads.
という理由である。ここでは奪ったのではなく、真似たという意味。

 つまり、M.I.A.はLady Gagaが目指す像の構想と曲の不一致を指摘している。
 Grace Jonesはスタイルを真似られただけでなく、実際に使用した衣装も使われたことに不服を申し立てている。詳細は不明。
 Roisin Murphyの場合は只の妬みである。

 M.I.A.の言は他とは観点が違う。彼女はロンドンの芸術大学出身だから、彼女が芸術史や美学を学んできたと仮定すると、その批評の対象はLady Gagaの模倣性ではない。芸術においては、模倣して消化することは当然であるからだ。ただ、彼女はLady Gagaの作品は特段先進的(progressive)ではないと述べただけだ。つまり、新しくない、芸術的意義があまりないという意味。観点は芸術としての意義。
 僕もLady Gagaの歌い方については前々から、疑問を抱いていた。もうちょっと声を弱くしたらどうかと。何故強く、Christina Aguilera風の発声をするのか。歌唱法と音楽と映像が不調和しているのではないかと。彼女に改善点が一つでもあるとすれば、そこだろう。

 結論
 問題はこれが商業であると言うこと、その一点に尽きる。Lady Gagaは現代芸術家ならするようなことをしたに過ぎない。しかし商業の本質は価値の交換だから、商業芸術家にしてみれば、同業者に自分のお株(価値)が奪われる訳にはいかないのだ。
 そして既にLady GagaのスタイルがGrace JonesやDavid BowieやCyndi Lauperを知らない世代に影響し始めているのも事実である。明らかに彼女は新しい潮流を作った。その内容が新しいかどうかは別にして。
 創作と商業の摩擦が著作権問題や、契約問題、GraceやMurphyの様な妬みを生む。そして経済的エネルギーの大きさに比例して摩擦は生じる。