2015年12月6日日曜日

ソングライターという仕事~ブルーノ・マーズ、エミリ・サンデー、シーアの場合

ソングライターは本来裏方で作詞作曲を行う職業人のことを言うが、最近は彼らも表舞台に出て歌手活動をすることも多いと感じる。



Ne-yo、Lady Gaga、Bruno Mars、Keri Hilson、Jessie J、Emeli Sande。
プロデューサーが名が売れてから歌手デビューするケースは前にもあったが、作詞作曲担当からデビューする数は最近の方が多いのではないかと思う。



それは、裏方の人には表に出る欲がない人が多かったからと、そう簡単に歌手デビューできるものではなかったからではないだろうか。
昔はある種のカリスマ性や会場を埋め尽くせるスター性のようなものが必要とされた印象がある。



ソングライターとは一体どういった仕事をする職業なのか。
Emeli Sandeによると、「ソングライターは好きな時間に起きて、好きな時間に仕事する余裕のある仕事」だったという。



Emeliはレーベルと契約したときの感情を「Clown」という歌にした。
ソングライターだったEmeliがレーベルに説得されてアーティスト契約する際の、納得のいかない感情と、大きなものに屈して自分の大事なものを手放してしまったかのような敗北感について切々と歌い上げている。



Bruno Marsの場合はハワイから出てきたばかりの段階で、曲を聴いた業界人から曲を売ってくれないかと言われ、お金のために売ったという事情が当初の成り行きだったようだ。
自分のアルバムを出したかった彼は渋々承諾したものの、昨今のレーベルは新人発掘に乗り気ではなく、既に売れ始めているアーティストにいい曲を与えることに心血を注いでいることに気が付いた。



ほどなくしてBrunoはまずは裏方として業界に入り、そこからソロデビューにこぎ着けようと画策し、プロデュース業、作詞作曲を始めたという。
彼には先見の明があったのは明らかで、実際にデビューも成功し、間もなく人気を獲得している。



Siaは長い下積み生活を経て、EDMでの客演で多くのリスナーを獲得した歌手だが、ソングライティングの生産性は業界の中でもかなり高い方だろう。
始めに制作に関わったのは、Christina Aguileraのアルバム『Bionic』。



Christinaの方から曲を書いてほしいと頼まれたらしい。
そこから彼女の作詞作曲キャリアがスタートするが、その後は名だたるアーティストと仕事をしている。



Siaが思い出深いのはBeyonceとの仕事だそうだ。
多数のプロデューサー陣、ライター陣と一つ屋根の下に集められ、集団生活をし、トラックメイキングを行ったようだ。



各部屋にBeyonceがやってきて、「こういう感情を歌にしてほしい」とか「あの曲のコーラスとこっちの曲のバースが好きなんだけど、くっつけてくれないか」などと注文を受ける。
25曲近く作ったが、蓋を開けてみると収録は『Pretty Hurts』のみだった。



外から見ると、机とペンと紙があればできる、何ともプリミティブで知的で高等な職業に見えるソングライティング。
実際には、書くことが好きだからやっているという天職的な人ばかりではなく、実は歌手志望で今はとりあえずお金のために作詞作曲しているという人が意外と多い。


2015年10月4日日曜日

メラニー・マルティネスが批判する美容整形社会

一重まぶたの人が「プチ整形」手術を経て二重まぶたにする。
臀部や胸部にインプラントを入れて大きくする。
方や日本、方やアメリカで流行の整形手術である。



十代、特にアイデンティティー確立期には多くの人が多かれ少なかれ自分の容姿に悩むものだ。
「君ってあの芸能人に似てるよね」と言われただけで、大抵意識していた自分の像と違い、悩んでしまったり、人と自分の顔を比べてしまったりするのだ。



年を重ねれば徐々に自己像が確立され、人々の容姿の悩みは鼻の高さやまぶたの形から、次第に肌の綺麗さや外科的老化対策に移行していく。
しかし、若い時期は日々自己否定との闘いであり、ちょっとした言葉や周囲の動きによって傷つき、自信を喪失するものだ。



アメリカのオーディション番組「The Voice」出身のMelanie Martinezは番組から3年を経て、ようやくデビューアルバム「Cry Baby」をリリースした。
本作は「Cry Baby」という人格が、恋愛・失恋・自信喪失・自己確立をするストーリーに沿ったコンセプトアルバムとなっている。



その中の収録曲「Mrs. Potato Head」で、Melanieは整形手術が手軽になってきている昨今の風潮へ疑問を呈する。
ツートーンの髪色をし、カラフルな刺青を入れ、子供時代の玩具や遊園地をモチーフにした彼女の作品世界は、いかにも物質主義的を推進しているように見てしまいがちだが、意外にも反美容整形を訴えている。



Lady Gagaがプラスティックな美を謳歌したり、KeshaやM.I.A.が早死にを賛美するような歌を次々出したのがすでに数年前のこと。
時が経つと、やはり人々は冷静になるようだ。
産業が煽る偽りの美、揺らぎやすい自己に厚塗りされた新しい面皮がフラッシュでまばゆい赤い絨毯の上を跋扈する時代に対して、19才は冷静である。



「愛する人が整形手術を受けて、ミスター・ポテトヘッドのおもちゃみたいに顔がバラバラになっても、一生添い遂げますか?」と、アルバムのテーマである玩具に絡めて疑問を投げかける。
見た目で人は判断できないということを彼女自身が体現しているかのようだ。

2015年8月4日火曜日

トーヴェ・スティルケの見た母国と日本

北欧と言えば、ポップやEDMが強いイメージがある。
アメリカ進出に熱心な一面もある。



しかし中には日本が好きな人もいるのである。
Tove Styrke、彼女こそそんな奇特な女子だ。



Tove Styrkeは2009年17歳にして「Swedish Idol」で3位に輝き、翌年アルバムデビュー。



欧米からの注目度も高く、2013年にはUKのSony Musicと契約し直し、セカンドアルバムをレコーディング。



数枚のシングル曲を発表後、2015年6月にセカンドアルバムを発表。
寂れたビルの一角で、生意気そうに顎を上げてこちらをねめるジャケットが日本の大手CDショップの店頭にも並んだ。



先行シングルには「Even If I'm Loud Doesn't Mean I'm Talking To You」、「Borderline」、「Ego」があるが、その中の「Ego」のビデオを見ていただくと、瞬間的にお分かりいただけると思うが、渋谷・新宿ロケである。



洋楽の中でも東京ロケのビデオが随分増えてきた感がある。
英語圏でも欧州でもない第三の文化圏、太平洋の4つのプレートの衝突部に位置する島国、日本。



仏頂面で人が押し合いへし合い通勤し、色とりどりのネオン輝く街に見たこともない電子機器を買いに行き、アニメのコスプレや武道に励む、歴史あるアジアの小国である。
大方西洋からの見方はそんなところだろうか。



それが「クール」なのであればまだいいが、本当に「クール」なのか。
中には「クレイジー」だと言う人もいる。



Toveはその両方の視点で日本を見ているかもしれない。
渋谷で街路を闊歩したりストリートダンサーに交じる彼女には、好奇心があふれ出ている。



アルバム中に「Samurai Boy」という曲があるほか、インタビューでは「このアルバム制作時の初期はKill Billに感化されている」とも答えている。
アルバムタイトルも「Kiddo」、同上の映画主人公の苗字と同じである。







このインタビューでは「Borderline」では家父長制批判をしていると言っているが、「sweden patriarchy」でグーグル検索すると、「Patriarchy and Fertility: Japan and Sweden, 1880-1960(カール・モスク『家父長制と出生力』)」という論文の情報がトップに出てくる。



偶然にもここでも日本が登場し、しかも彼女の祖国スウェーデンと絡めて、家父長制と産出力について論じられている。
彼女はこれを読んだのだろうか。



調べると、スウェーデンの福祉制度は家父長制的性格に裏打ちされているという論説があるらしいのだが、これは読んでみないと本当にこれが当の書物の主旨かどうかは分からない。



是非取り寄せて読んでみたいものである。
そうすれば、Toveが一体何の「Borderline」に困惑していたのかのヒントが隠れているような気がするのだ。
そして彼女が日本に対して託しているイメージが分かるような気がした。

2015年7月9日木曜日

クリスティーナ・アギレラは下手な歌手なのか

自分の中で一番歌が上手い人というのは、その存在を知ってからずっと、ちあきなおみだ。
集中力があるし、失敗しないし、感情がこもっているし、演歌も歌えればブギウギも歌える。
しかし、彼女は歌の講師に言わせれば、きっと声域の限界にチャレンジしないジャズ的なBGM的な歌手なのだろう。



歌のプロからの評価と、世間の評価は必ずしも同じではない。
歌の講師に言わせればアメリカのスター歌手、クリスティーナ・アギレラですらも悪い歌手とされているからだ。
アルバムだけでも全世界で1700万枚以上売っても歌は二流。
そんなことあるだろうか。



クリスティーナの何がいけないかというと、高音部の地声を出すときに、口蓋垂を上げて、喉を細めて、無理やりに出力しているというのだ。
これは苦しく、難しい発声の仕方で、だからこそ歌う時に彼女は苦しそうな顔をしているのらしい。
このような歌い方をすると、声は響かず、長く伸ばすことも難しい。
それは悲鳴に近い声として発せられる。



ゴスペルなどを経た歌手はそういう歌い方はしない。
地声が出ないなら声の出し方を変えなければならない。
ゴスペルでは自然と、響かせた発声(resonance)を学ぶ。
オペラにおいても、口蓋垂を上げる歌い方はせず、喉は開いてリラックスさせて歌わなければならない。



マライアが出せるからと真似して、無理に高い声を出そうと喉を絞り込んでしまうと、誤った発声になってしまう。
大事なのは高い声を出すことではなく、響いた声を出すことだ。
という以上のような、歌の講師の共通認識を最近知った。



でも口蓋垂を上げて絞り出す地声は苦しそうなのであれば、
それはそれでたとえばエレジーを歌うときなどに活用すればいいのではないかと思った。
哀しい曲を歌う時に、のどを絞って苦しそうに歌うというスキル。
やってはいけない悪い歌い方として切って捨てるのではなく、そこまで技術化するのが、真のテクニシャンなのではなかろうか。



実際、クリスティーナが歌う「Hurt」や「Beautiful」は実に痛々しく、あれを元気に良く響いた声で歌われても何の説得力もない。
彼女の歌のもの悲しさの証拠に、The Voiceでお手本に課題曲を歌って見せたときに、最初の1フレーズで出場者に落涙させたこともある(The Voice 2015, top 8, Kimberly Nichole "Creep")。
あの痛々しさは彼女独特の「悪い」歌い方の賜物である。



クリスティーナは今や悪い歌手の代名詞のような存在で、throaty voice(喉を開き過ぎた歌い方)とかhigh larynx singing(口蓋垂を上げた歌い方)といった悪名高い歌唱法ながら、グラミー賞やVMAなど数々の輝かしい舞台を飾ったというレッテルが貼られている。
一時期、あんなに当代一の歌手として褒めそやされていたのに、大衆が手のひらを返すのは冷酷なほど早いものだ。

2015年6月11日木曜日

ビヨンセの曲「バウ・ダウン」のストリート性

Beyonceの2014年のシングル曲“Flawless”は、彼女史上トップクラスの問題作だった。
正確には、この曲の元となった2013年リリースの“Bow Down/I Been On”という曲こそが問題作だった。



「ずっと前からここに君臨してるんだから、私の前にひれ伏しなさい」と歌うこの曲は、Beyonceらしくなかった。
小生意気な女性ラッパーのように聞こえるのは、生まれのテキサス州ヒューストンにも言及しているからかもしれない。



生来、内向的で大人しいこの美女は、しかし過去にも時に同業者を大胆に挑発した。
デスティニーズ・チャイルド時代の“Survivor”やソロでの2008年のシングル曲“Diva”などが好例だ。



この勝気さは何なのかと考えたところ、やはりこれはストリート性の模倣だと思う。
ストリート文化とは、しばしば周りを気にしない独善性を大言壮語する。
ストリート性の強いヒップホップにおいては「I am the king of hip hop」や、「I am the best around」などと言って、競争相手がいたものなら口撃する。



この無法的で、原始的な威張り合いはグラフィティおよびストリートアートにも継承されていて、Beyonceの“Bow Down”で思い出したのが、ストリートアーティスト、シェパード・フェアリーの作品“OBEY”である。






陰鬱な男の顔の下に「従え」とあるその謎の張り紙は、その文言が「従え」だからこそストリートアートの流儀を保っている。
例えばそれが“HELLO”だったとしたら、何の方法論も持ち合わせていないことを露呈する。



Beyonceの“Bow Down”に反応したのは2004年デビューの熱唱系シンガー、Keyshia Coleだった。
よほどBeyonceを意識していたのだろう。


First "Women need to Stick together" now bitches better Bow. Smh. But it's all G! Chicks stay shooting the shit. But when I speak my mind its a prob.


とツイートし、Beyonceの一味、ビーハイブの返信によってtwitterが炎上する。
しかし、挑発には挑発で返し、相手のグラフィティのタグには自分のタグを上書きするのがストリートのマナー。
Keyshiaはストリート流の方法を選択したに過ぎない。



では、当のビヨンセはなぜこの曲を出したのか。


The reason I put out 'Bow Down' is because I woke up, I went into the studio, I had a chant in my head, it was aggressive, it was angry, it wasn't the Beyoncé that wakes up every morning. It was the Beyoncé that was angry. It was the Beyoncé that felt the need to defend herself.


単純にご機嫌斜めだったようなのである。

2015年5月15日金曜日

原初とは何か―ビヨンセの衣装パクリ騒動に端を発して

まずはこちらをご覧いただきたい。




セルビアの歌手、Jelena Karleusaがビヨンセの撮影・演奏衣装の中には、以前自分が既に試したものの真似が見られることをInstagramにて示した。
人々は、その告発内容よりもまずそんなセルビア人の存在の方にビックリしたのではないだろうか。
彼女はKim KardashianやLady Gagaにも真似されるほど、先進的な東欧のファッショニスタ(本業は歌手)なのだ。



彼女のInstagramページを覗いてみると、コーディネート写真の洪水で、服への愛を感じる。
色々な組み合わせの試しの回数が多いため、四六時中、服のことを考えているのだろう。
その極めぶりは全世界のスタイリストが参考にする価値がある。



歌手の衣装が似ている、あるいは全く同じだと指摘されることはもう何度も行われてきた。
少し前はLady Gagaに対してMadonnaやGrace Jonesなどが声を上げた。
しかしそのMadonnaだって、初期にはMarilyn Monroeと同じような衣装を着て写真を撮っていた。



服が似てしまうのは仕方ない。
我々の姿がほぼ同じ形状をしていて、服の型のバランスや色の組み合わせが有限なのだから。
また、ファッションやデザインというものは、その人の目の肥やしに訴えかけるものがあり、前例や他のデザインとの合成、改変を経て消費されるものであることも理由の一つだ。



Jessie JやAriana Grandeなど、女性がレオタードで歌を歌うことが普通になったのは、BeyonceやMadonna、Lady Gagaだけのおかげではなく、70年代のエアロビクスの流行、Diana Ross、Betty Davis、Kate Bushによる適用、そして2000年代以降は女性ラッパーらやLady Marmalade以降のChristina Aguileraの衣装によって、われわれの目が慣れ、背景を知っているからだ。
ある程度の既視感がないと、洋服が「かっこいい」とか「ダサい」とは評価できない。



前例を探して、それを参考にするということは衣装に限らない。
ウェブデザインや住宅の建築でも参考例を探す。
これらの共通点は使い勝手(UI)と外観が両方大事であるということである。



KelisもLady Gagaに複数の衣装を真似された人の一人なのだが、彼女のそれに対するコメントが素晴らしい。


I’ve been around for a long time and that’s what artists do; we take from each other and we recycle. And quite frankly, it may not even be them. It might be stylists that have been around as long as I have and are like, ‘Hey, let’s recycle this on these younger artists.


さすがは美術高校出身、分かっていらっしゃる。
アートとは学び合うものであり、デザインは盗みあうもの。



では「オリジナル」って何だろう。
何にも似ず、何も参考にせず作られたものという意味であれば、それは理性的な人間には不可能な活動ではないだろうか。
トランス状態にでもなれば話は別だが、人間は知識を蓄え、それらをカテゴライズし、組み合わせ、取り出し、ということを延々と行っているのだから。

2015年4月17日金曜日

リアーナによるアメリカンドリーム論

昔のHIPHOPやR&Bは、よくアルバム中に社会問題を歌った暗い曲が1、2曲あった。
黒人差別や貧困問題、蔓延する薬物など、プロジェクトで育った黒人アーティストにとっては、故郷さらに祖国は希望で眩い素晴らしい国ではなかった。



出自からの社会問題的視点に限らず、音楽家は社会問題に感化されることが多い。
特にMichael Jackson以降、その傾向が強いと思う。
2001年の同時多発テロで、再びその動きが活発化し、多くの歌手がそれに感化されて曲をつくった。



それから時は経ち、社会問題を課題とした曲は減った。



そんな2015年の春、東京ガールズコレクションでも観客の群集が歌詞を口ずさめるくらい日本でも人気があるRihannaによって、シングル「American Oxygen」がリリースされた。
彼女にしては珍しく、また、近年の音楽業界的にも珍しく問題提起型の楽曲である。
ビデオでは、アメリカ合衆国のこれまでの歴史に残る場面の継ぎはぎの合間にRihannaが映る。



Paul Mccartney、Kanye Westとの共演では、デビュー当時とは段違いの見事な魂のこもったボーカルを聴かせたRihannaだが、今作のビデオでは戦争、人種問題、移民問題、経済問題など、もはや何を訴えているのか茫洋としてしまうくらい幅広く社会問題を網羅している。
そこで歌詞を見てみよう。


I say, you see, this is the American Dream
Young girl, hustlin'
On the other side of the ocean
She can be anything at all



なんてことはない、アメリカンドリーム論である。
ビデオがアメリカ合衆国の社会問題のシーン集であることで、視聴者は正確なメッセージを受け取りづらくなっている。



しかしこのアメリカンドリーム論は、デトロイトから35ドルを手にニューヨークに乗り込み、スーパースターになるという80年代の武勇伝とはもはやスケールが違う。
紺碧のカリブ海の少女が、アメリカ合衆国を代表する歌手になるという話だ。
バルバドスも立派なアメリカ大陸の一部であり、その意味ではRihannaもアメリカ大陸人である。
アジアでいえば、フィリピン出身の女の子が中国で成功し、チャイニーズドリームを歌っている感じであろうか。



アメリカと聞くと、アメリカ合衆国を連想するがカナダではアメリカ合衆国のことを「America」ではなく「The States」と呼ぶ。
カナダもアメリカ大陸の一部だからだ。
21世紀のアメリカンドリームはもはや大陸レベルなのである。



しかし、まぁこのビデオを見るにつけ、この短い歴史の中でこれだけ大きなエントロピーが起こる国も他にないなと思った。
自由と民主主義の国は色々な意味で激しいのだ。

2015年3月30日月曜日

Azealia Banks reminded me of Missy

Well, Azealia Banks is in Japan now.
Welcome, Azealia.
I can show you around Shibuya if you want, cause I was born and grew up in Tokyo.
Alright, I'm joking.



I bought her 1st album "Broke With Expensive Taste" last week.
I've known her from "1991" and thought her sense of rhythm of rhyming was cool.



Philly's female rapper Eve was saying that she liked Azealia's word-play in some interviews.



Yes, songs in her album has a wit, word-plays, variety of languages and styles.
It was very entertaining to listen through.



And I thought she sounds like Missy sometimes.
When she went "ba-rom-pop-pom-pom"(drum sounds onomatopoeia) and "yippe yi yo, yippe yi yi yay".



Ear catchy phrases can be used by several rappers, but not only that, Azealia's voice has some deep tone like Missy's and that really made me feel like I was listening to Missy.
Both rappers are not very gangsta type rappers, and not the type that sells sex but both are good at word-play.




Back in 2000s, it was Lil' Kim who sang in a kind of strange tone in "This Is A Warning" and she sang "Time after Time" with Cyndi live.
These says we have more and more rappers who can sing (and singers who rap).
Nicki Minaj, Drake, Frank Ocean, M.I.A sings sometimes.



But Azealia can sing better than ordinary alternative rappers or crossover sing.
She once said she would be a Jazz singer if she quits rapping.



She has got such mad opinion in her mind as she was asked if she was an angry African-American in radio interview.
She has spoken out about white Hip Hop, black culture appropriated, sex and being digital native.
That will motivate her to express her own critical point of view about the world, and that's what her fans like about her.

2015年3月16日月曜日

ラチェット・ミュージックとVineとゲットー

最近よくYoutubeで見るThe Real Daytime ShowでホストのTamar Braxtonが、“I have to listen to ratchet music”と言っていた。





Tamarがその後で“I have to listen to 2chainz.”
と言うので、Ciaraの音楽が「Crunk'n'B」と呼ばれたり、TLCの音楽が「Down Low」と呼ばれたように、2chainzは新たな音楽名称をひっさげて頑張っているのかと思った。



有名なUrban Dictionaryによると、「ratchet」とは
A diva, mostly from urban cities and ghettos, that has reason to believe she is every mans eye candy. Unfortunately, she's wrong.
を意味すると言う。



つまりゲットーにいるとんでもない勘違いタイプの派手な女性のことである。
そこから次第にratchetがゲットーを指すようになり、「ratchet music」がゲットー的な「ゆっくり目のヒップホップ」を意味するようになったそうだ。



たとえばTygaや最近のLudacrisがやっているような音楽がラチェット・ミュージックと言うらしい。
聴いてみると、「最近のヒップホップ」という感じがした。
メロディレスでシンセとビートのシンプルなつくりだ。



僕自身は「ratchet music」と聞いて、最初にPTAFの“Boss Ass Bitch”を思い浮かべた。






この曲は2012年以降、本当によく6秒動画アプリ「Vine」で耳にした曲で、高飛車な感じの女の人のBGMとなっていた。
人だけでなく、果てにはマレフィセントやおしゃれキャットのマリーなど、様々なアニメキャラのワンシーンも“Boss Ass Bitch”に乗せて投稿されていた。



Vineを見ていると、撮影・編集方法や面白さからは創造性は感じるが、直接的な下品さやいたずら、変な顔などで面白おかしく見せている面が大きい。
この直接的なお下劣さが“Boss Ass Bitch”とつながり、高校生あるいはゲットーのユーモアとの親和性の高さを築いているのではないかと思った。

2015年3月10日火曜日

ケイティ・ペリーの「ロアー」と中国伝統楽器との相性

父がパソコンでKaty Perryの“Roar”の歌詞を調べてるのを見て、やっぱりあの曲は名曲だったのだなと今更思い知った。



この人が好きになる曲は名曲中の名曲が多く、はずれがない。

  • Bob Dylan “Blowing In The Wind”
  • 松任谷由美 『輪舞曲』
  • Ricky Martin “Livin La Vida Loca”
  • 鬼束ちひろ 『月光』
  • 夏川りみ 『涙そうそう』


以上が父がのめり込み、家族が飽き飽きするほど繰り返し聴いた歴代の曲目である。
ここに今回、Katyの“Roar”が加わりそうだ。



皆がこぞってギターを習い、ビートルズやカーペンターズを弾いた世代で育ち、父もご多分に漏れず一通りは弾いたらしい。
ポップスの勉強にはもってこいのオールディーズをたしなんだ耳に、現代のJ-POPや洋楽は若く、何かが足りない。



Max MartinにDr. Lukeプロデュースのこの曲が往年のポップスが染み込んだ年老いた耳を捉えた。
高揚的なコードに、勇気づけられる歌詞、フックのシンコペーション。
晴れた朝一に聴きたくなる曲だ。



Katyの“Roar”は僕自身、発売当時に結構好きになり、聴いていた。
素人からプロまで色々な人たちがカバーしたが、一番好きなのはRebecca Fergusonのバージョンである。


Rebecca Ferguson “Roar”



そして、なぜかオーケストラでも良い演奏になるに違いない気がして、いろいろ調べたら中国伝統楽器の演奏がこの上なく素晴らしかった。




Katy Perry - Roar Performed by China National Orchestra



この演奏を会場で聴いたKatyは感涙していた。
「帰って早くオーケストラと演奏することを考えたい」とインタビューで述べていたほどだ。



笛や二胡、楊琴で奏でられた2014年のアメリカでのヒット曲がこんなに中国民謡化するとは思わなかった。



それもそのはず、この“Roar”は「G-Em-Am-C」というコード進行で、ドレミにすれば「ソ-ラ-ミ-ド」となり、中国民謡のヨナ抜き音階(ファ、シがない音階)に当てはまるのだ。



ヨナ抜き音階といえば、日本では島唄である。
城南海や中孝介に奄美三味線と太鼓でカバーしてもらいたいところだが。

2015年2月15日日曜日

マイリー・サイラスは黒人音楽を利用しているのか

Wendy Williamsが自身のテレビ番組で「Miley Cyrusは黒人文化を利用しているという声がある」と紹介した。



過去にはElvis PresleyがChuck Berry、Little Richardから影響を受けつつ大ヒットし、ロックの王様の様になったが、ChuckとRichardはそこまで売れなかったことを挙げている。

そして現代にはJustin Timberlakeがソロ活動を行う際に、D'Angelo的なファルセットを多用した都市的R&B作品でUsherあるいはMichael Jackson的なダンスを踊り、人気を博した。
そしてそういう人々は年を取ると、まるで「若気の至り」だったと言わんばかりに普通の中年の白人になるとWendyは指摘している。



Mileyについては実際僕自身、友達とMTV VMA放送後、あまりにも「黒人ぶっている白人」像だったので少し不愉快だったと喋っていた。
それはMileyだけでなく、Robin Thickeに対しても抱いた感想だった。



WendyはMileyのMTV VMAでのパフォーマンスを見て、白人が黒人っぽいアプローチを採るのに慣れっこになってしまっていたため、何も感じなかったと言う。
ということは慣れる前、例えばJustinソロデビュー時の2002年頃にはまだ辟易していたということだろう。



2002年と言えばChristina AguileraやBritney Spears、P!nkのような白人アーティストがブラック的手法を取り入れて活動し、白人ラッパーのEminemが彼らをディスっていた時期である。
いまよりもまだロックも盛んで、ロックには白人アーティストが多かったため、逆にブラックミュージックを演奏する白人アーティストは目立っていた。




今では多くの白人がブラックミュージックやストリートミュージックを発売しているし、それに違和感を唱える人はほとんどいない。



なぜMileyばかりがたたかれるのだろうか。
あるいはJustin、Robin、Elvisだけがなぜ、黒人文化を利用していると言われるのか。



その理由は二つあると思う。

一つはアイドルだから、もう一つはメディア露出度が高いからではないだろうか。



例えば日本の歌謡界で70年代に振り付きで踊ることが流行ったのはアイドルの隆盛が一因である。
もちろんそれまでにも振り付きで歌っていた人はいたが、流行らなかった。
アイドルはそれまで水面下にあった芸術様式を大衆の世界へと引き上げる働きをしている。



アイドルのデビューの際は、得てしてレコード会社は制作にお金をかける。
有名プロデューサーや作詞家・作曲家を起用してみんなの総力を挙げて送り出す。
その時代の精鋭制作陣が作ったものがアイドルの作品になる。

プロデューサー陣がブラックミュージック畑の人間なら当然新人アイドルはブラックミュージックでデビューすることになる。



次に、高いメディア露出度はファンを増やす一方、ヘイター(アンチ、反対勢力)も増やす結果を招く。
バラエティ番組に出ずっぱりの坂上忍に対して抗議する笑い飯・哲夫や、Shellyやベッキーのようなハーフタレントばかりが番組MCを務めることに苦言を呈する友近のような現象が起こる。



つまりMileyはアイドルとしてブラックミュージックの手法を宛てがわれ、露出度が高かったために多くの目にさらされた。
そして「白人がVMAという国民的音楽番組でジャマイカのクラブレゲエの踊りを更に露骨にしたような演出をしたこと」に人々が違和感を訴えたのだ。

あるアーティストは、Mileyのパフォーマンスには女性としての尊厳が欠けていると批判した。
そして別の人々はMileyは黒人文化を利用していると批判した。



アイドルなんて所詮取って付けたような虚飾を纏った存在である。
伝統芸術の様に、存在の正当性が唱えられるような立派なものではない。
アイドルの意義は偶像性であり、金太郎飴の様にどこを切ってもその人らしくそこに存在することであるから、音楽性に劣っていてもその存在意義は揺るがない。



ただWendyはじめ多くの黒人にとって、元々ブラックミュージックだったロックが白人が優勢の音楽になってしまった過去から、Hip HopやR&Bもそうなってしまうことをおそれている部分はあるのではないかと思う。




参考サイト:http://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2014/07/whats-so-great-about-elvis-he-didnt-invent-or-steal-anything/374081/

2015年2月12日木曜日

メンタル系シンガー、セラ・スーが帰ってきた

突然だが、気が病んだことはあるだろうか。
程度の差はあれ、誰しもが精神に異常をきたしたことが、一度や二度はあるのではないだろうか。



病んだことがある人には、同種の人の言葉が分かる。
同じ浸透率を持つ言葉に敏感である。
10年くらい前に、何かの雑誌のインタビューでタレントの吉川ひなのが
自分がこう考えてるのは、本当はこういうことではなくて、こうだからなんじゃないか、と出元を探っていくと、メビウスの輪のようにぐるぐると堂々巡りをしてしまって、ずっとそんなことばかり考えていた
というような趣旨のことを言っていた。
自分にはこのとき、この意味がはっきり分かったし、こういうダウナーな考察が、こんなモテ系女子の口から出たことに驚いたのを覚えている。



考えるということと、悩むということは違う
とは、哲学的エッセイスト池田晶子の言である。
この人も鬱気質の人ではあったが、だからこそ、上の言葉を発した。



哲学者には精神的な問題を抱えていた人は多かった。
ニーチェやウィトゲンシュタインはそうだった。
哲学が原因でそうなるのではなくて、そういう人には哲学が落ち着く(親和性が高い)から哲学と関わることが多いのだと思う。



病んだために、考えることを始めた哲学者がいれば、自分の心をじっくり見つめたヴィクトール.E.フランクルのような精神科医もいる。



また、病んだために詞を書き、音楽を始めた人もいる。
それはベルギー出身のアーティスト、Selah Sueだ。



Selah Sueは1989年、ベルギーのレーフダール出身。
15歳でギターを始め、高校時代にはMyspaceを開始。
レーベルからの契約の誘いはあったものの、断り、ルーヴェン・カトリック大学に進学し、心理学を専攻した。
在学中の音楽活動時にデビュー作のプロデューサーであるDJ Farhotと知り合い、学業を断念。



フランスのBecause Musicと契約し、EPを複数発売後、2011年にアルバムを発売し、世界デビュー。
ヨーロッパではヒット作となり、ベルギーでは一番人気のアーティストだという。



曲調はレゲエ・ソウルと評される。
スリーコードのスパイシーで泥臭い曲に、汚い声(褒め言葉)で歌う感じは、レゲエ調のAmy Winehouseとでも表現しようか。
そういえば、Amyも自分のアルコール・ドラッグ依存による精神状態を歌詞にしていたし、悪い精神状態をネタにしている点では本当にAmyっぽくもある。



SelahはサウンドがAmyよりもストリート/若者向けなのに、やっぱり歌詞が暗い。

I just have those moments when the darkness inside takes over control.
I just have to face the dark in side my head. - "Fyah Fyah"

 I need an explanation and some fitting solution,
Because I'm turning into a stranger more and more.
My emotions make me feel insecure. - "Explanation"



Selahはこういった歌詞を書く理由をここで以下の様に述べている。
Music saved me. From the time I was 14 to 18, I was really depressed. My issue with depression is partly genetic. All of my grandparents have psychological issues but as a teenager I suffered from so much anxiety and doubt. I had a big identity crisis. I didn't know who I was or what I stood for. It was pretty dark.

芸人で言うところの「ガチなヤツ」である。
Amyのようにアルコール依存が誘発した自堕落的な暗さではない。



そんな筋金入りのメンタル姐さんがEPを出した。
曲名は『Alone』。
子持ちの彼氏と同棲していたのに、分かれたのだろうか。
とても明るく、ファンキーな曲調なのがまた歪曲していて、素晴らしい。



もう彼女の書く歌詞は精神世界ではなくなっていた。
暗い10代を終え、歌手として売れ、忙しく活動している彼女はもう過去の場所にはいなかった。



EPの中に、デビューアルバム挿入曲の『Summertime』を彷彿させる癒し系コードの『Time』という曲がある。
その歌詞が証拠だ。
Time will tell you
The bad days will fade
Time will tell you
If your heart will stray


人間として変わったSelahが3月発売のアルバムでどういう世界を描くのか、非常に楽しみだ。

2015年2月4日水曜日

レディー・ガガは結局レッド・ワンなしではやっていけないのではないか

Lady Gagaが次のアルバムでは再び、プロデューサー、RedOneと組むことを明らかにしている。
最新作『Artpop』が商業的に不出来だったことも再タッグの理由の一つだろう。



RedOneはモロッコ出身のプロデューサー。
19歳のときにスウェーデンにわたり、ミュージシャンを目指すも23歳のときに裏方に回ることを決意。
ヨーロッパでは様々なアーティストと仕事をしつつ、下積み生活を送り、35歳にて妻と共に渡米。
鳴かず飛ばずで無一文のときにKat DeLunaやLady Gagaと出会い、日の目を見る。



特筆すべきは、彼がスウェーデンに渡った理由で、スウェディッシュ・ポップが好きだったからだそうだ。
既にここにポップミュージックのセンスがある。
彼の手掛けた作品を聴くと、飛びぬけて明るい、または気分が高揚する曲が多い。



スカンジナビア半島のプロデューサー陣は本当に世界を股にかけ、ポップミュージックを量産していて恐ろしいくらいだが、Gagaの有名曲はやはりこのRedOneの手掛けた曲が大半だった。
以下の曲がRedOneプロデュース曲である。


  • "Just Dance" (Feat. Colby O'Donis)
  • "LoveGame"
  • "Poker Face"
  • "Money Honey"
  • "Boys Boys Boys"
  • "Paper Gangsta"
  • "Bad Romance"
  • "Alejandro"
  • "Monster"
  • "So Happy I Could Die"
  • "Judas"
  • "Hair"
  • "Scheiße"

M.I.A.は以前、Lady Gagaの曲を「イビザ島のディスコみたい」と批評したことがあるが、それはさしずめRedOne批判でもあり、なおかつ的を得ているとも言える。

Swedish House Mafiaなどスウェーデン出身のハウスアーティストの作品はやはりとても明るく、こういう音楽がイビザ島でかかるとすれば、確かにRedOneの曲もイビザっぽいということになるからだ。



Lady GagaはAndy Warholの世界観を模倣し、MadonnaやGrace Jonesの出で立ちを踏襲し、LGBTの代弁をしながらポップ・ミュージックを発信してきたが、それもこれもRedOneのド級のポッププロデュース力がないと、ここまで注目されなかったのかもしれない。

GagaにとってのRedOneは、J-popにとっての「カノンのコード進行」の如き最終兵器であり、Gagaは一発目から伝家の宝刀を抜いていたのかも知れないのだ。



もしRedOneと組まなかったら、Lady Gagaはどんな音楽をやっていたのだろう。

2015年1月8日木曜日

リアーナ風音楽を白人のオバサンがやってみた結果

去年、Rihanna風音楽で一世を風靡した白人のオバサン。
それは1975年生まれの芸歴21年のオーストラリア人アーティスト、Siaのことだ。



勘違いしないでいただきたいのは、ここで言う「オバサン」とは、マツコ・デラックスが大人の女性に向かって使う「ババア」と用語法的に同義であり、蔑称ではない。
寧ろ親しみを込めて用いている点、強調したい。



なぜならこの種の厚めのビートに乗った若者世界の歌詞を歌うのは、ファッションリーダー的な若くてカッコいい女を演じるアーティストのすることだったから、そういう世代からみるとSiaは「ババア」なのだ。



Siaが世間に知られるようになるにはいくつか段階かあった。
「Breathe Me」がアメリカのテレビドラマ“Six Feet Under”でのエンディング曲となった2005年。
David Guettaとの「Titanium」がヒットした2011年。
5作目のアルバム“1000 Forms of Fear”からの1stシングル「Chandelier」がヒットした2014年。



過去の作品と今作を聴き比べると曲調がだんだんと流行に近づいて来ている。
最新作“1000 Forms of Fear”にはRihannaやBeyonceが歌っても違和感がないような曲がたくさん収録されている。



最近の提供曲Rihannaの「Diamonds」、Beyonceの「Pretty Hurts」、Katy Perryの「Double Rainbow」にも見られることだが、単語数が少なめで、モチーフとなる物質が何度も登場し、音楽を埋めるために同じ歌詞が連呼される。



単語連呼系はLady Gagaくらいから顕著になったと思うが、やはりRihannaっぽい。
Jessie Jの「Do It Like A Dude」も単語連呼系で、元々Rihannaに提供するはずの楽曲だった。



Siaの歌詞に頻出するテーマは、「富への渇望」と「物質性」だ。
下の動画を見ていただくと、“I'm soon to be rich”と述べたり、3分25秒くらいから豪奢に対する欲について語っている。




Siaは近年のメディアからの素顔の隠蔽については、私生活を名声によって台無しにされた沢山の歌手の友達がいるからとしている。
ここに富の裏側、豪奢の影の部分を見る目が垣間見れる。



「Pretty Hurts」は美への追及に疲労困憊する姿が、「Chandelier」は満身創痍でパーティとお酒に明け暮れる若い女性の姿が描かれていて、どちらも痛々しい。
豪華なファッションに憧憬を抱く若い女性の現実世界は、長らくRihannaが広報担当だったのだが、昨年Siaという39歳のベテランが中途入社し、これが世間的には受けたようだった。



今頃彼女は豪華な暮らしを満喫しているのであろうか。