2017年1月18日水曜日

結局、今一番歌が上手い女性ソウル/R&Bシンガーは誰?

ホイットニーが永逝し、マライアがかつての声を失った今、売れ行きやメジャーさは抜きにして、一番バランスが取れていて上手いと感じる女性ソウル/R&Bシンガーは誰だろうか。
僕が上手いと感じる人を挙げてみた。



Jazmin Sullivan
10代のころから歌うま少女として界隈では有名で、グラミー賞にも度々ノミネートされてきた1987年生まれの歌手。
ゴスペルが下地にあり、太くてあまり高くない声ながら高音域では声が割れるというか、複雑な音を発するのが特徴的。
もっとも美しいボーカルランを聴かせる歌手の一人だと思う。
近年では辞めるとか辞めないとかの噂が絶えないので、アメリカのちあきなおみと化してしまう可能性も。



Jennifer Hudson
2004年のAmerican Idolファイナリストで、2009年にグラミー賞を受賞した1981年生まれの歌手。
ゴスペルを下地にしたパワーと高い声域をミドルボイスで出してしまう器質的な才能と、ロングトーンなどのテクニックが聴く者を圧倒する。
ビヨンセよりも輝いた映画『ドリームガールズ』の出演や肉親を殺害される悲劇に見舞われた後の復帰パフォーマンス、プリンスのトリビュートなど、ドラマチックな舞台も多く経験し、その分、聴衆からの信頼度は高い。



Jessie J
パフォーミングアーツの高校でアデルやレオナ・ルイスと同学年だった、1988年ロンドン生まれのシンガー。
ポップからロック、ソウル、R&B、バラードまで何でも歌いこなすバランスを持っていて、特筆すべきはライブでの声の運動神経である。
高音のミドルボイスから、繊細なボーカルラン、張りのあるロングトーンを次々に繰り出し、体育会系ロック歌手のようなステージを見せる。



Keke Wyatt
10歳から裏方仕事をしていて、15歳で日の目を見た1982年生まれの歌手。
ゴスペルやオペラを下地にした、艶のある歌声で高音域も得意。
安定感があり、ボーカルランや装飾が繊細で美しい。
近年はリアリティ番組に出演するなど、タレント業にも精を出している。



Tamar Braxton
トニ・ブラクストンの姉妹の末っ子で、姉妹コーラスグループを経てソロに転身した、1977年生まれの歌手。
ゴスペルを下地にした、太さのある声ながら、なかなか出せる人は多くない高音のミドルボイスを聴かせる。
ボーカルランや装飾の引き出しも多く、さすがは姉妹でよくゴスペルを歌っているだけある。
体調不良などでアルバムのPRが出来ず、不遇は続くが、リアリティー番組に出演し、そのドラァグクイーン風の立ち居振る舞いで人目を引くなど、タレント活動も多い。



さて、思いつく限り、現在活躍中の上手い女性歌手を挙げてみた。
他にもいるとは思うが、それでもこれらの人々はランクに入ってくると思う。
この中で自分が一番上手いと思うのはテイマー・ブラクストンだ。
テイマーと比べると、キキ、ジェシーJは声に太さが足りなく、ジャズミンは高さ、Jハドは繊細さに欠ける。
テイマーは2017年1月の時点で3枚のアルバムを出しているので、知らない方は是非聴いてみていただきたい。

2017年1月7日土曜日

Soul Train Awards 2016のエリカ・バドゥと紅白歌合戦のタモリ・マツコの寸劇

Soul Train Awards 2016をインターネットで閲覧した。
まさかのErykah Badu司会である。
そして、まさかのなかなかのギャグセンスである。
会場を割りと沸かせていた。

授賞式としては、面白いと思ったのはBest hip-hop Song of the yearがRhythm and bars賞に変わっていたことだ。
確かにDTMでHip Hopの曲を作ろうと思ったら、目の前のモニターにあるのは小節であり、耳に聞こえるのはリズムである。

Lady of SoulとしてBrandyが選ばれたのは不思議だった。
最近作品を出したわけではないし、出演する代わりに賞をくれと交渉したのだろうか。
去年がJill Scottの受賞だったので、流れ的にはAngie Stoneの方が適切な気もするが。

先述のMC Erykahであるが、中間と最後に寸劇を挟んでいる。
自称ボイスコーチのMs. Irma Ervingとして授賞式に侵入を図る。
華やかな格好で現れ、「ここにいる歌手の全員のボイスコーチをしている」とバウンサーに豪語する。
しかし、そのメイクは志村けんばりのコメディ仕様なのだ。

これが去年末の紅白歌合戦のマツコ・デラックスとタモリによる寸劇を思わせた。
会場に到着し、ガードマンに止められながらも侵入し、舞台に上がり、出て行くまでのあの熟年夫婦である。
紅白の二人は自主的に帰っていくが、Soul Train AwardsのMs. Ervingは結局つまみ出されることとなる。

マツコ・デラックス&タモリの寸劇は尺が長く、しかも即興と思われるのでコメディ要素を持たせるのは難しいだろう。
二人のショーマンシップに全てがかかっている。
しかし、それを敢えてやらせたのは、かつてフジテレビの27時間テレビで同局が「嫌われている局ナンバーワン」という雑誌記事に関する発言をぶち込んだり、別の生放送番組で「デモ以降大変」と述べるなど視聴者の気持ちをハプニング的に代弁してきたマツコと、客観的な批判が出来る緩衝材のようなタモリの化学反応を見せたかったからであろう。そして、それが見たい視聴者は一定数いたと思うので、その点で成功だったと思う。

Soul Train Awardsの寸劇はロケであり、コメディなので、授賞式の娯楽性を強める働きがあった。
両者を眺めたときに、寸劇の存在価値は尺の上に成り立っていることが分かる。
尺が寸劇の生命維持装置である。
尺が有り余った寸劇は冗長性を帯び、中だるみし、もはや「寸」劇ではなくなる。
その意味で、マツコ・タモリの寸劇はもっと短時間の物を多くやる方が良かったと思う。