2017年3月31日金曜日

アリシア・キーズは次なるローリン・ヒルたり得るか

ピアノ弾きのヒップホップ才女として華々しいデビューを飾ったアリシア・キーズは2016年に6枚目のアルバム『Here』をリリースした。
夏に『In Common』をリリースして、割と流行の洞窟並みにリバーブかかりまくりのトロピカルトラックを歌ったかと思うと、すっぴん宣言をしたりしてメディア露出を繰り広げた。



その後リリースした曲『Blended Family』では混血家族、一夫多妻的家族、婚外子も前妻も含んだ大きな家族の絆を歌う。
アルバム発売前に発表されたビデオ『The Gospel』はアフリカンアメリカンカルチャー、ストリートの現実を特集したドキュメンタリー風な映像だった。
ここで、何か大きなテーマを抱えた作品が控えていることを直感した人は多かっただろう。
数年前からのBlack Lives Matter運動を想起した人もいただろう。



そしてアルバムリリースに至る。
母殺し(および母なる大地である地球を汚染すること)、同性愛、自尊心を持つこと、不安、偏見や一方的な決め付けの打破(トランプ大統領への応答)など、大きな社会問題ともなり得れば、個人の心の問題ともなり得る多様なテーマの曲が並ぶ。
彼女にありがちな純愛を歌うクラシックソウル風のラブソングはほとんどない。



こうしてみると、2010年代のローリンヒル的アルバムと言われてもおかしくないクオリティではある。
音楽的にもブルースっぽい曲、ゴスペル、レゲエ調、ストリート音楽などローリンに引けをとらない幅広さを誇る。
頭脳明晰さを考えても、アリシアならローリン並みの啓蒙的アルバムを作れるはずである。



何が違うのか。
それは宗教性だ。
ローリンはラップで鍛え上げた冗長的で説得力のある作詞能力があった。
ラップという形式上、たくさんの言葉を並べることが出来るし、歌にするには関係なさ過ぎることも盛り込むことが出来、メッセージを伝えるには有利である。
ローリンは全体的に宗教色が強く、コーラスワークもクワイヤ的な性格を帯びている。



一方、アリシアは基本的にクールな弾き語りシンガーだ。
彼女の詞は叙述的で、個別的、ストーリーがある。
歌なので、歴史上の人物名や聖書の話はほとんど出てこない。
その時々に旬な歌手と共演したり、対象年齢の低そうな分かりやすい歌もあったりする。
コーラスワークはR&B的、ソウル的な手法を取る。



歴史上、芸術と宗教は密接に関係してきた。
大衆化した技術は芸術とは呼びにくくなってしまう。
ワルツはミサ曲にはなりえない。



アリシアは曲中で社会問題を取り扱えど、宗教的な結論に至るのではなく、やはりどことなく大衆性を持っていて、ソウルミュージックを演奏してはいても、実は根っこのところは結構ロックなのではないだろうか。