2016年6月5日日曜日

マイヤが音楽ビジネスウーマンと化している件

90年代から活躍している歌手たちの現在は様々である。
ある人はショービズ界を辞め、ある人はリアリティ番組に出て、ある人はオーディション番組の審査員になり、ある人はすっかり裏方となり、ある人はラスベガスでショーをする。



98年にデビューしたR&Bシンガー、Myaはそのどれとも異なり、事務所を独立し、音楽を出し続けている。
今はDAWソフトが入ったパソコンとマイクさえあれば、誰でも曲が作れて、更にデジタル音楽配信サイトに小額のお金を払えば誰でも曲が配信できる時代である。
デジタル音楽配信・CD制作とワインのプロデュースなどをしながら、地道に頑張っているようだ。



クリスティーナ・アギレラとの『Lady Marmalade』で全世界的に脚光を浴びたMyaのキャリアは順調課のように見えた。
共演後のアルバム『Moodring』でも滑らかな歌声で大人のR&Bを聴かせていた。



しかし変化はその後起こった。
4枚目に予定したアルバムが、レーベルの判断による発売延期情報がきちんと販路内で共有できなかったため、時差が早い我が日出る国、日本で誤ってデジタル配信開始。
販売を停止したものの、ネットに楽曲がリークすることとなってしまい、レーベルは2年かけて制作した件のアルバムお蔵入りに。



Myaはそれを機にレーベルを離れ、インディレーベルに移ることを決意。
それを聞いた日本のCD制作会社がMyaに契約を持ちかけた。
Myaはそこで初めて新たな契約交渉を学び、彼女のインディキャリアがスタートした。



自宅にスタジオを作り、音楽のミックス方法を学んだり、自分で立てたプロダクション会社でお抱えプロデューサを雇ったりして、音楽制作にかかる費用を95%カット。
更にインディレーベルとの交渉術で、印税もユニバーサル・ミュージック時代よりも上昇。
結局今の方が収入は多く、全世界色々なところに仕事で行けるし、楽しいという。



日本での音楽誤配信がなければ彼女の今のキャリアはない。
2年かけてつくったアルバムが無に帰した代わりに、それ以上のものを手に入れた。



彼女のクリエイティビティはそこだけに留まらない。
Sisqoとの共演曲『It's All About Me』でのチャイナドレス風衣装とヘアスタイルは彼女が自分でデザインしたのだという。
昔から絵を描くのが好きで、自分で描いたものを当時のレーベルのお抱え洋裁師につくってもらったのだとか。



R&B歌手枠でクリエイティブといえば、美術系高校出身のKelisくらいしか知らないが、ただのダンス推しの女性歌手と思っていたMyaがこんなにも創造性に満ち、自分で道を切り開き、業務的に自立していたということは刮目に値する。