2014年4月27日日曜日

財布にドーナツを付ける国

徐々に、海外に伝わりつつある、日本の渋谷・原宿の服装・小物・デザイン。
海外の歌手たちも渋谷での買い物を楽しんでいるようだ。


元Pussy Cat Dollsのボーカル、Nicole Scherzinger。
彼女も渋谷の109で大はしゃぎしたアメリカの歌手の一人。


ずんどうなブーツを履いて
Surely it makes me look like the biggest ankle in the world but...No?
へんてこなイヤリングを見て
Now I know I'm in Japan!


彼女は「女子高生が財布にドーナツを付けてる。人と違うことをして、自分を主張している」と言う点で渋谷を評価する。


2014年2月にきゃりーぱみゅぱみゅと初めて対面したAriana Grandeも、その魅力について、
「Because you're different!」と言っていた。
人と違うということが、そんなにも彼女たちを興奮させるものなのか。


きゃりーぱみゅぱみゅの「ponponpon」に見られるようなごちゃごちゃ感。
swimmer、6%DOKI DOKI、ロリィタ。
そういうものが何から来たか考えるときに、まず思い浮かぶのが、子供のおもちゃである。


やたらと子供向けのものがカラフルな国といえば、アメリカ。
ジェリービーンズに、グミ、アイスクリームから各種おもちゃまで。
渋谷・原宿の雑多感は元々そういうところをネタにしている感はある。


もう一つ影響として言えそうなのが、アニメである。
アニメの中では、ほぼ全てのパーツがカラフルである。
そうでないと、画面がつまらなくなってしまうから、
やたら紫や緑の髪の毛のキャラクターがいたりするのだ。


ジェリービーンズのようなカラフルな色彩感覚はもともと日本には存在しない。
日本にはアメリカよりも長い、色彩感覚の文化がある。
そういう国だからこそ、カラフルなものに、日本人は異国性を感じるのではないか。
変身願望とか、10代の自己実現欲求があるところに、
異国性を織り交ぜることにより、他者と差別化を図る
そこに原宿・渋谷文化が生まれている気がする。

2014年4月11日金曜日

一人でいるときに何をするか

仕事から家に帰ると、頗る落ち着く。
落ち着くということは嬉しいということであると思う。

でもその喜びをあまり、喜びとして認識していない。

金曜日の夜が一番強烈だから、
平日の夜などさほど感謝されないのかも知れない。



何故、人は仕事から帰ると落ち着くのか。

単にもはや仕事をしなくてよくなるからだけではない。

様々なものから解放される。

人の目から、制服から、制約から解放される。

一人でいる時分には、何でもしたいことができる。

全ての生理現象に素直でいることができる。

会社や電車ではあれほど厭わられる咳もし放題、放屁も、自慰も、
誰にも見せられないような恥ずかしい踊りも自由である。



しかし、この生理現象に自由な状況というのは、非日常ではなかろうか。

これはつまり、家に居るときと休日を意味する。

学生時代であれば、それは他愛のない時間である。

しかし、まさにその理由によってか、その大切さが分からなかった。

今や家にいる時間は大切な非日常である。

勿論、これ自体が価値なのではない。
仕事にでることが陽とすると家で暮らす時間は陰である。

そりゃサラリーマンのゴールがマイホーム購入なのも頷ける。




高校時代、ロックバンドのシュガーカルトのアルバムを借りたことがある。

その中の曲のいくつかに、ある決まったフレーズが共通してあった。

「一人で部屋に居る時に何をするかが肝心だ。」

確かにそうだと思った。

人は一人でいるときに、もっとも自分を甘やかす。

自分の精神への教訓のようなこの言葉が、深い自省の末、
得られたものであることはよくわかる。



同じような言葉に、
「シャワーを浴びながらおしっこをしないのがジェントルマンだ」
という言葉がある。

誰も見ていないからといって、シャワールームで放尿しない。

自分への制約である。



日常が厳しい環境にある人、あるいはストレス耐性の低い人ほど、
自制心は低い。

しかし、自制をすることで、先ほどの陰と陽の対立を和らげることができる。

2014年4月6日日曜日

リベット工員ロージー

日本の戦中の標語をご存じだろうか。
「欲しがりません、勝つまでは」
「撃ちてし止まん」
「贅沢は敵だ」
「月月火水木金金」
「万世一系 億兆一心」
などたくさんの仕方で呼びかけがなされた。





当時の敵国、アメリカはどうだったかというと、当然アメリカにもあったのだ。
"Victory waits on your fingers."
"YOU talk of sacrific. He KNEW the meaning of sacrifice."
"Stay on the job until every murdering Jap is wiped out."
"She may look clean but spreads syphilis and gonorrhea."
などなど。


兵隊志願者を募るものから、売春婦の性病の流行を注意喚起するもの。
勤労を呼び掛けるものから、食べ物を粗末にするなというものまである。



他にも当時出回った架空の人物がいる。
それがRosie the Riveter。
「リベット工員ロージー」といった意味のこのキャラクター。
いわゆる前線に立たない「銃後」を鼓舞するためのものだった。





<背景>
リベットとは鋲を打つ工程らしい。
男たちが戦地に向かい、手薄になった工場のため女たちにも求人が出た。
女の労働力がとても大事になった。





<初見>
アメリカにて1942年に「Rosie the Riveter」が発売された。
これは複数の歌手や演奏者により曲としてCD化された。
このような歌詞を含む。
All the day long,
Whether rain or shine
She’s part of the assembly line.
She’s making history,
Working for victory
Rosie the Riveter






<平行する物語>
ちょうどそのころ、ミシガン州の一人の女性が工場を立ち去ろうとしていた。
Geraldine Hoff Doyle。
彼女は高校を卒業したばかりのしがない一介の女工だった。
チェロをたしなむ彼女は手に危険な仕事をしたがらなかった。
2週間働いた工場を辞める頃、ある啓蒙ポスターのモデルになる。
それが有名な"We Can Do It!"であった。
必要以上に人員を雇えない。
だから今いる人員で工場を回さなければならない。
だから「私たちにはできる!」なのだ。



しかしこのポスターは当時、その地域に出回っただけだった。





<影響>
男性専用の仕事への女性の進出は一時的なものと見られていた。
確かに戦後、女性の就業率は下がった。
しかし、女性の社会進出体験はその後の女性雇用への大きな下地となった。
また、多くの黒人女性も採用されたため、黒人の社会進出も助けた。





<文化>
1970年代になり、女性の就業率が再び上昇する。
このときに、フェミニズムが勃興し、戦中の女性就業現象が見直される。
そして上の"We Can Do It"ポスターが初めて全国的に注目を集めた。
楽曲"Rosie the Riveter"とは無関係なポスターが、同一視され始めた。
強い女の代名詞として、"We Can Do It"は様々な人にモチーフにされた。



有名どころだと以下がある。
P!NK Raise Your Glass ビデオ
Christina Aguilera Candy Man ビデオ
Beyonce Why Don't You Love Me ビデオ





<まとめ>
Rosei the Riveterは戦争を工場から支えた女工を指す、社会現象の名だ。
これによって男性専用だった工員が女性でも出来ることが証明された。
雇用機会の性差に社会が疑問を呈するきっかけとなった。





<感想>
こういう風に見て行くと、我々は依然として「戦後」に生きている気がする。
自分は雇用機会に差別はあってはならないと思う。
しかしながら、実際は書類で、面接で落とされる。
だから働き口が見つからない人は主夫(婦)になることが生活の効率が良い。



ちなみに経済学的雇用問題では家事を行う人は非労働力には入らない。
(就職活動をしていたら失業者という枠に数えられるが)
家事はそれほど、立派な「仕事」なのだ。
だから二人寄り添って、二人分の稼ぎのある人が働き、ない人が家事。
それが理想であるが。



男女差ではなく個体差の方が大きいとよく言う。
たとえば昔は男と女では、男の方が良く働けたかもしれない。
でもバリバリ働く女と根性のない男。
(もちろんバリバリ働く男と根性のない女の方が差は大きいが)
こういった個体差が現代は広がりつつある。
性別の雇用機会が平等になれば、個体差で就職の差はついてしまう。



つまり、良く働く女に勝てない男は、主夫をする時代に近づいてきたと思う。
専業主婦(夫)のバリアフリーがもっともっと進む気がする。
あるいは、実家暮らしの子がいる両親の早期退職&専業夫婦化。
更には友達同士で住んで支え合ったりもできる。
そのようにして労働人口を循環させないと、社会は回らない。
家事をする職業を堂々と多くの人々が口にできる日が来てほしいと思う。

2014年4月5日土曜日

レディー・ガガと商業

 導入
 様々な人により、様々な文脈・遠景画の中で、様々なものについてLady Gagaとの類似が述べらている現状から、考える。

 icon
 偶像。類似記号。

 一つのものが強烈に流布することによって、様々なものをその定型にあてはめ、比較してしまうことは、流行がもたらす現象である。まさに他者を一者の「類似」として見てしまう。一者と、それをそのまま真似する人、消化して踏襲する人がそれに続く。
 そしてこの文脈で重要なのは独自性とは何なのかということ。流行のリーダーですら、前代の物からヒントを得ている。そしてその慧眼がときに、前代者や周囲の者から反感を買う。

 
 本文
 Lady Gaga。彼女は初期に自身の作品のモチーフを「80年代、ニューヨーク、強迫神経症」と述べていた。彼女が芸術を大学で専攻していたことと、その衣装などから、アメリカの現代芸術、Showbizに造詣が深いと伺える。彼女はアーティストとして真剣に捉えてもらえる商業に、アングラのマナーで乗り込むことは「Andy Warholと同じ」ことだと述べている(smash.music.yahoo.co.jp/top/repyjm00613/)。
 そして表現において自分が、過去の発明を組み合わせたり改新させて用いていることを彼女は自覚している。その引用姿勢はアカデミズムであり、現代芸術的である。現に彼女は自分が「独自」だとは思っていなくて、将来の夢として「30年かかるかも知れない」が、「オリジナリティ」を構築したいと言う(beatculture.music.jp.msn.com/archive/interview/091216_ladygaga/default.htm)。
 
 Lady Gagaを批判した人たち。まず、スリランカ人Hip Hop歌手M.I.A.。彼女はLady Gagaについて
None of her music's reflective of how weird she wants to be or thinks she is. She models herself Grace Jones and Madonna, but the music sounds like 20-year-old Ibiza disco.
 故に先進的でないと述べた(www.spin.com/articles/hot-beef-mia-disses-lady-gaga)。
 そして当のGrace Jones。彼女はLady Gagaからの共演の依頼を断ったという。というのも、彼女は彼女のコピーであり、"she's worn that I've worn, and that does kind of p*ss me off."だからだという(www.digitalspy.co.uk/music/news/a215282/grace-jones-i-turned-down-copycat-gaga.html)。
 そして似た理由でRoisin MurphyもLady Gagaを嫌う。
She took my shoulder pads.
という理由である。ここでは奪ったのではなく、真似たという意味。

 つまり、M.I.A.はLady Gagaが目指す像の構想と曲の不一致を指摘している。
 Grace Jonesはスタイルを真似られただけでなく、実際に使用した衣装も使われたことに不服を申し立てている。詳細は不明。
 Roisin Murphyの場合は只の妬みである。

 M.I.A.の言は他とは観点が違う。彼女はロンドンの芸術大学出身だから、彼女が芸術史や美学を学んできたと仮定すると、その批評の対象はLady Gagaの模倣性ではない。芸術においては、模倣して消化することは当然であるからだ。ただ、彼女はLady Gagaの作品は特段先進的(progressive)ではないと述べただけだ。つまり、新しくない、芸術的意義があまりないという意味。観点は芸術としての意義。
 僕もLady Gagaの歌い方については前々から、疑問を抱いていた。もうちょっと声を弱くしたらどうかと。何故強く、Christina Aguilera風の発声をするのか。歌唱法と音楽と映像が不調和しているのではないかと。彼女に改善点が一つでもあるとすれば、そこだろう。

 結論
 問題はこれが商業であると言うこと、その一点に尽きる。Lady Gagaは現代芸術家ならするようなことをしたに過ぎない。しかし商業の本質は価値の交換だから、商業芸術家にしてみれば、同業者に自分のお株(価値)が奪われる訳にはいかないのだ。
 そして既にLady GagaのスタイルがGrace JonesやDavid BowieやCyndi Lauperを知らない世代に影響し始めているのも事実である。明らかに彼女は新しい潮流を作った。その内容が新しいかどうかは別にして。
 創作と商業の摩擦が著作権問題や、契約問題、GraceやMurphyの様な妬みを生む。そして経済的エネルギーの大きさに比例して摩擦は生じる。