仕事から家に帰ると、頗る落ち着く。
落ち着くということは嬉しいということであると思う。
でもその喜びをあまり、喜びとして認識していない。
金曜日の夜が一番強烈だから、
平日の夜などさほど感謝されないのかも知れない。
何故、人は仕事から帰ると落ち着くのか。
単にもはや仕事をしなくてよくなるからだけではない。
様々なものから解放される。
人の目から、制服から、制約から解放される。
一人でいる時分には、何でもしたいことができる。
全ての生理現象に素直でいることができる。
会社や電車ではあれほど厭わられる咳もし放題、放屁も、自慰も、
誰にも見せられないような恥ずかしい踊りも自由である。
しかし、この生理現象に自由な状況というのは、非日常ではなかろうか。
これはつまり、家に居るときと休日を意味する。
学生時代であれば、それは他愛のない時間である。
しかし、まさにその理由によってか、その大切さが分からなかった。
今や家にいる時間は大切な非日常である。
勿論、これ自体が価値なのではない。
仕事にでることが陽とすると家で暮らす時間は陰である。
そりゃサラリーマンのゴールがマイホーム購入なのも頷ける。
高校時代、ロックバンドのシュガーカルトのアルバムを借りたことがある。
その中の曲のいくつかに、ある決まったフレーズが共通してあった。
「一人で部屋に居る時に何をするかが肝心だ。」
確かにそうだと思った。
人は一人でいるときに、もっとも自分を甘やかす。
自分の精神への教訓のようなこの言葉が、深い自省の末、
得られたものであることはよくわかる。
同じような言葉に、
「シャワーを浴びながらおしっこをしないのがジェントルマンだ」
という言葉がある。
誰も見ていないからといって、シャワールームで放尿しない。
自分への制約である。
日常が厳しい環境にある人、あるいはストレス耐性の低い人ほど、
自制心は低い。
しかし、自制をすることで、先ほどの陰と陽の対立を和らげることができる。
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