2014年4月5日土曜日

レディー・ガガと商業

 導入
 様々な人により、様々な文脈・遠景画の中で、様々なものについてLady Gagaとの類似が述べらている現状から、考える。

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 偶像。類似記号。

 一つのものが強烈に流布することによって、様々なものをその定型にあてはめ、比較してしまうことは、流行がもたらす現象である。まさに他者を一者の「類似」として見てしまう。一者と、それをそのまま真似する人、消化して踏襲する人がそれに続く。
 そしてこの文脈で重要なのは独自性とは何なのかということ。流行のリーダーですら、前代の物からヒントを得ている。そしてその慧眼がときに、前代者や周囲の者から反感を買う。

 
 本文
 Lady Gaga。彼女は初期に自身の作品のモチーフを「80年代、ニューヨーク、強迫神経症」と述べていた。彼女が芸術を大学で専攻していたことと、その衣装などから、アメリカの現代芸術、Showbizに造詣が深いと伺える。彼女はアーティストとして真剣に捉えてもらえる商業に、アングラのマナーで乗り込むことは「Andy Warholと同じ」ことだと述べている(smash.music.yahoo.co.jp/top/repyjm00613/)。
 そして表現において自分が、過去の発明を組み合わせたり改新させて用いていることを彼女は自覚している。その引用姿勢はアカデミズムであり、現代芸術的である。現に彼女は自分が「独自」だとは思っていなくて、将来の夢として「30年かかるかも知れない」が、「オリジナリティ」を構築したいと言う(beatculture.music.jp.msn.com/archive/interview/091216_ladygaga/default.htm)。
 
 Lady Gagaを批判した人たち。まず、スリランカ人Hip Hop歌手M.I.A.。彼女はLady Gagaについて
None of her music's reflective of how weird she wants to be or thinks she is. She models herself Grace Jones and Madonna, but the music sounds like 20-year-old Ibiza disco.
 故に先進的でないと述べた(www.spin.com/articles/hot-beef-mia-disses-lady-gaga)。
 そして当のGrace Jones。彼女はLady Gagaからの共演の依頼を断ったという。というのも、彼女は彼女のコピーであり、"she's worn that I've worn, and that does kind of p*ss me off."だからだという(www.digitalspy.co.uk/music/news/a215282/grace-jones-i-turned-down-copycat-gaga.html)。
 そして似た理由でRoisin MurphyもLady Gagaを嫌う。
She took my shoulder pads.
という理由である。ここでは奪ったのではなく、真似たという意味。

 つまり、M.I.A.はLady Gagaが目指す像の構想と曲の不一致を指摘している。
 Grace Jonesはスタイルを真似られただけでなく、実際に使用した衣装も使われたことに不服を申し立てている。詳細は不明。
 Roisin Murphyの場合は只の妬みである。

 M.I.A.の言は他とは観点が違う。彼女はロンドンの芸術大学出身だから、彼女が芸術史や美学を学んできたと仮定すると、その批評の対象はLady Gagaの模倣性ではない。芸術においては、模倣して消化することは当然であるからだ。ただ、彼女はLady Gagaの作品は特段先進的(progressive)ではないと述べただけだ。つまり、新しくない、芸術的意義があまりないという意味。観点は芸術としての意義。
 僕もLady Gagaの歌い方については前々から、疑問を抱いていた。もうちょっと声を弱くしたらどうかと。何故強く、Christina Aguilera風の発声をするのか。歌唱法と音楽と映像が不調和しているのではないかと。彼女に改善点が一つでもあるとすれば、そこだろう。

 結論
 問題はこれが商業であると言うこと、その一点に尽きる。Lady Gagaは現代芸術家ならするようなことをしたに過ぎない。しかし商業の本質は価値の交換だから、商業芸術家にしてみれば、同業者に自分のお株(価値)が奪われる訳にはいかないのだ。
 そして既にLady GagaのスタイルがGrace JonesやDavid BowieやCyndi Lauperを知らない世代に影響し始めているのも事実である。明らかに彼女は新しい潮流を作った。その内容が新しいかどうかは別にして。
 創作と商業の摩擦が著作権問題や、契約問題、GraceやMurphyの様な妬みを生む。そして経済的エネルギーの大きさに比例して摩擦は生じる。

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