2015年8月4日火曜日

トーヴェ・スティルケの見た母国と日本

北欧と言えば、ポップやEDMが強いイメージがある。
アメリカ進出に熱心な一面もある。



しかし中には日本が好きな人もいるのである。
Tove Styrke、彼女こそそんな奇特な女子だ。



Tove Styrkeは2009年17歳にして「Swedish Idol」で3位に輝き、翌年アルバムデビュー。



欧米からの注目度も高く、2013年にはUKのSony Musicと契約し直し、セカンドアルバムをレコーディング。



数枚のシングル曲を発表後、2015年6月にセカンドアルバムを発表。
寂れたビルの一角で、生意気そうに顎を上げてこちらをねめるジャケットが日本の大手CDショップの店頭にも並んだ。



先行シングルには「Even If I'm Loud Doesn't Mean I'm Talking To You」、「Borderline」、「Ego」があるが、その中の「Ego」のビデオを見ていただくと、瞬間的にお分かりいただけると思うが、渋谷・新宿ロケである。



洋楽の中でも東京ロケのビデオが随分増えてきた感がある。
英語圏でも欧州でもない第三の文化圏、太平洋の4つのプレートの衝突部に位置する島国、日本。



仏頂面で人が押し合いへし合い通勤し、色とりどりのネオン輝く街に見たこともない電子機器を買いに行き、アニメのコスプレや武道に励む、歴史あるアジアの小国である。
大方西洋からの見方はそんなところだろうか。



それが「クール」なのであればまだいいが、本当に「クール」なのか。
中には「クレイジー」だと言う人もいる。



Toveはその両方の視点で日本を見ているかもしれない。
渋谷で街路を闊歩したりストリートダンサーに交じる彼女には、好奇心があふれ出ている。



アルバム中に「Samurai Boy」という曲があるほか、インタビューでは「このアルバム制作時の初期はKill Billに感化されている」とも答えている。
アルバムタイトルも「Kiddo」、同上の映画主人公の苗字と同じである。







このインタビューでは「Borderline」では家父長制批判をしていると言っているが、「sweden patriarchy」でグーグル検索すると、「Patriarchy and Fertility: Japan and Sweden, 1880-1960(カール・モスク『家父長制と出生力』)」という論文の情報がトップに出てくる。



偶然にもここでも日本が登場し、しかも彼女の祖国スウェーデンと絡めて、家父長制と産出力について論じられている。
彼女はこれを読んだのだろうか。



調べると、スウェーデンの福祉制度は家父長制的性格に裏打ちされているという論説があるらしいのだが、これは読んでみないと本当にこれが当の書物の主旨かどうかは分からない。



是非取り寄せて読んでみたいものである。
そうすれば、Toveが一体何の「Borderline」に困惑していたのかのヒントが隠れているような気がするのだ。
そして彼女が日本に対して託しているイメージが分かるような気がした。