2016年11月29日火曜日

プリンスのライブ映像を初めてちゃんと見て思ったこと

物心がついてから初めて聴いた洋楽は、ホイットニー主演の『ボディガード』のサウンドトラックだった。
それが影響してか、アメリカの音楽は凄い歌唱力を持った歌手が歌っているものというイメージがついた。
そのため、ダンスパフォーマーや演奏家に興味がなく、ロックバンドやマイケル、マドンナ、ビヨンセにはあまり関心が行かなかった。



プリンスも僕にとっては演奏家のイメージが強かった。
洋楽を聴いて育つ中でいろんな場面で彼のうわさは目にし、耳にしてきたが、圧倒的な歌唱が聴きたい身としては音楽を掘り下げるにはいたらなかった。



唯一中学生のころに知っていた曲が、『When You Were Mine』。
そして大学時代くらいに、そろそろ彼の音楽を知らないというのも恥ずかしいと思い始め、ベストアルバムをレンタル。
しかしそれでも、凄いキャッチーな曲がジャンルレスにたくさん作れる人なんだなといった程度の感想だった。



そして、2015年に誕生日に友達に彼の『Hit and Run phase1』をプレゼントされる。
初めて手にしたプリンス作品はロックあり、EDMあり、R&Bありの音楽の玉手箱のようなアルバムだった。
やはりキャッチーな曲が多く、才能を再確認した。
しかし、彼の本領はライブにあったのだと、そのときは知らなかった。



2016年4月に訃報が全世界を駆け抜けると、やはり驚き、残念に思った。
それから半年経った、秋。
何気なく、彼のインタビュー動画を見ていた。





3分のところで、司会が「もしプリンスじゃなかったら、何をしていると思う?」と問い、
彼は「16歳のころにお金が無くて働こうとしたけど、イエローページの中にひとつもやりたいことが無くて、音楽家として必死にやっていこうと思った。それで成功できた」と言っている。



才能も実績も伴っていて、説得力がありすぎるくらいカッコいい話である。
その後、SNLやスーパーボールのハーフタイムショウなどの動画を見た。



演奏への集中力、オーディエンスを時折チェックする目つき、演出、曲によって行うギター交換、盛り上げ、最後の紳士的な礼。
その一連が上手で、抜け目なく、しかも自己陶酔ではない自信に満ちている。



ライブにありがちな、疲れて力が抜けたり、声が出なくて目が泳いだりすることがない。
ダンスパフォーマーにありがちな、力が入りすぎた体育会的で筋肉的な姿を見せない。



「いいもの見れたでしょ?」といわんばかりの笑顔が彼の音楽への愛と、それで食べていけていることの偶然性に立脚した完璧な職業精神を物語っている。
誰かを見返すためや自分の実力を誇示するために歌ったり、超越的な感化に身を任せて絶唱したり、客から独立して淡々と舞台上で技巧を披露したりしている感じが見受けられない。



「音楽を魅せる」。
そして好きだからそれをやっている。
その姿が発揮される場所、ステージ。
音楽よりもライブを先にチェックしておけばよかったと思ったアーティストだった。

2016年11月23日水曜日

スカイラー・グレイの幸福論

00年代のヒップホップシーンによく客演者として名を連ねた歌い手がいる。
彼女の名はSkylar Grey。
やさしく包み込むようなフォーキーな歌声を提供していた。
そんな彼女は実は作曲もやっていて、客演の曲の多くは共作である。
裏方であり、曲の顔ともいえるフックも歌うSkylar Greyとは何者なのか。



Skylar Greyはウィスコンシン州出身のシンガーソングライター。
高校を中退し、17歳でLAに拠点を移し、Linkin Park界隈のレーベルと契約する。
Fort Minorの代表曲『Where'd You Go』で聴いたやさしい歌声の正体は、実は改名前の彼女である。
当時はレーベルの関係でLinkin Parkとよく仕事をしていたようだ。



その後、現在の芸名に改名をし、New Yorkに仕事を求めに行き、新しい契約先を見つける。
そして、そのころからEminemやDr.Dreとの仕事が始まる。
『Love The Way You Lie』、『I Need A Doctor』、『Coming Home』など、ヒット作を共作する。



2016年には3枚目となるアルバム、『Natural Causes』を発売。
これまでの客演がヒップホップ畑が多かったためか、クラブミュージックのコーナーにCDが置いてあるのを見かけた。
しかし、彼女はもっとフォークの人なのだ。



実際、子供のころに母親とフォークのデュオを組んでいたということから、歌唱法もロックというよりもフォーク風だ。
本人も影響を受けた歌手の一人に挙げているフィオナ・アップルに似ている。



3枚目のアルバムタイトルが「自然要因」であり、CDの裏カバーも森の中であることから、自然がモチーフになっている。
それもそのはずで、田舎育ちの彼女にとって自然は欠かせない存在であり、LAで活動した後はしばらく森の中で生活をしていたという。
下記の動画インタビューでその証言がある。




森の中で自給自足をすることで、サバイバル精神を養い、自信を付けることで、精神衛生にも良かったのだろう。
森を出た後で、彼女はグラミー賞授賞式でエミネムらとパフォーマンスを行ったり、数年後に実際受賞したりと大活躍するわけである。



しかし、やはり彼女は忘れた頃に自然に帰る。
今はユタ州の山の中に住んでいるという。
それがアルバム収録曲にも影響している。



収録曲のひとつに『Moving Mountains』という曲がある。
この曲名を見たとき、とっさに土井たか子の名言「山が動いた」や風林火山の「動かざること山の如し」、Lamyaの『Empire』の歌詞の一節「Bring me men who match my mountain」などが頭を駆け巡った。



山が動くことを大きな変化になぞらえているのだろうと邪推していた。
しかし、インタビューを読むともっと深いことを言っていた。


It's like, yeah, it's cool to be driven and whatever, but if you're neglecting the present and all the people around you that you love and stuff like that for your career, that's not very attractive and it's also not very conducive to happiness. I feel like happiness is all about living in the moment, like right now. Waking up to these mountains and being with my dog and that kind of thing, so I wrote this song “Moving Mountains.” The lyrics in the chorus is: “For once in your life push your ambitions aside and instead of moving mountains, let the mountains move you.” (lemonademagazineより)


 憂鬱は過去が原因で起こるもので、不安は未来へ対して持つもの。
幸福は現在にあり、現在を生きることでそれを獲得することが出来る。
キャリアだ、夢の実現だと奔走していては「現在」を生きることは出来ない。
山を動かそうとするのでなく、山に動かされてみなさい。



まさかこんなフォーク系ポップシンガーの口から、のけぞるような思想的な言葉を聞けるとは思わなかった。
彼女は哲学書でも読んだのだろうか。
確かに、彼女の言うことを考えると正しいという感じがする。



野望は夢を見させてくれるが、そのように夢見心地のまま生きられた生は、心ここにあらずの状態に等しい。
また、夢に生きることは、夢がかなった後の生のことが見えていない。
そもそもなぜそこまでして夢をかなえる必要があるのか、考える方が先に来るべきである。
過去も未来もないとして、現在を精一杯生き、状況を楽しむことが真実の生であり、充足感、すなわち幸福につながるのではないだろうか。
なぜなら本来、それだけで良いはずなのだから。

2016年10月10日月曜日

ダンスホールレゲエが流行った夏

今年の夏はラジオからよくダンスホールレゲエ調の曲が流れた。
Major LazerやDaya、Fifth Harmony、Siaの『Cheap Thrills』、Justin Bieber、Drake、Rhianna、Beyonce『Sorry』、ムーなど。
大体裏打ちのシンセと裏打ちのハットの合いの手が聞こえてきたら、もうダンスホールレゲエ調のノリの確定である。



流行の視点抜きにして最近の音楽を聴いてみれば、クラブミュージック界では確かに昔からやっていそうな音楽と言えなくもない。
真のダンスホールレゲエと違うのは、歌手がバリバリのジャマイカ訛りで際どい歌詞を歌っていないことくらいことくらいだ。



夏らしいと言えば夏らしい音だが、夏だからという理由だけで流行ったわけでもない気がする。
この流れはどこから来たのだろうか。



ダンスホールレゲエと言えば、この人、Sean Paulはこの流れを作ったのはMajor Lazerだと言う。
そして、散々行われてきた文化盗用の議論よろしく、ジャスティン・ビーバーやドレイクは自分たちのやっている音楽がレゲエだと明言していないと摘発する。



確かに、ダンスホールレゲエが流行するきっかけはMajor Lazerかも知れない。
しかし、その前からこのレゲエへと向かっていくゆっくりとした前進は存在した気がするのだ。



僕の少ない頭の中の音楽名鑑を探れば、2009年グウェン・ステファーニ『リッチ・ガール』、2010年リアーナ『ワッツ・マイ・ネーム』、2013年のエリー・ゴールディング『バーン』が、メジャーなダンスホールレゲエ風音楽がポップチャートに登場した例だと思う。
2014年のMagic!の『Rude』のヒットも、人々のレゲエへの親和性を高める効果があったかもしれない。



思えば、ここ5年くらいでクラブレゲエの腰振り踊り、Twerkが格段に知名度を上げたのも、音楽の流行と関係しているのではないだろうか。
だとすると、マイリー・サイラスのVMAでの卑猥ダンス事件も流行の過程と言えるのではないだろうか。



ただこの流れの核となるDiploは昔からクラブレゲエやバイレファンキ、クドゥルなどの非西洋世界の音楽やドラムリズムを取り扱ってきたということを考えれば、本人は山のように不動で安定しているのだ。

2016年7月7日木曜日

シーア化するリアーナ

いつごろからだろうか。
Rihannaの歌が上手いと思うようになったのは。



「Four Five Seconds」くらいのときには既に何か変化を感じていた。
しかし、彼女のアルバムを今まで一度も買ったことがなかったので、しっかりとその変化を感じ取れなかった。



デビュー時の彼女はクラブレゲエ調の歌唱法だったので、それはそれでカッコよかった。
しかし、その当時似たアーティストは多かったので僕は買うに至らなかった。
Nina SkyやRumidee、もっと前はNelly Furtadoである。



それぞれ音楽的背景も民族性も違うだろうに、自分的には同じカテゴリーに入れていた。
すなわち「ソウルフルでラガマフィン風」。



Rihanna自身はディーバになることを目指していたのかもしれない。
何せデビューのきっかけとなったオーディションで歌った曲はマライアの「Hero」である。
そのころのボーカルはまだか弱く、時折裏返り、お世辞にも上手いとは言えなかった。
デビュー後にAmerieらと共にDestiny's Childに捧げた「Lose My Breath」のパフォーマンスでもそんなに変わってはいなかった。



それがSiaが提供した「Diamonds」くらいからか、少しずつ変わってきた。
今ではヘッドボイスが大きくなり、安定し、声の破裂(voice crack)までも技術として駆使できるようになっている。



Billboard Music Awards 2016での「Love On the Brain」の歌唱も伸びやかで、ヘッドボイスも安定し、裏声も綺麗、しゃがれ声も多用していて十分なステージング。
本人も出来に満足したのか、歌い終わった瞬間にオフマイクで「Wooh!」と言っているのが口の形から読み取れる。



2016年6月30日にYoutubeに掲載された「Sledgehammer」では遂にカービィの如く、Siaの歌唱法をもコピー。
Siaのデモと声の相性が良かったのだろう。
ビデオを見ないでいると、SiaかRihannaか迷うくらい似ている。


これはしかし、Siaの歌を真似した結果、Rihannaの歌が上手くなっているという現象だと思う。
したがって、「Diamonds」以降の進化の影にはSiaのデモ音源の力があるのではないか。
Rihannaの声に合ったボーカルコーチはMariahではなく、Siaだったのだ。



新作「Anti」はBjorkも好んで聴いているというし、やっとRihanna作品の中で買おうかなと思うものが登場した。
Adeleの新作のせいで発売延期にしただけあって、自信作だったのだろう。



まだ28歳。
あと10年くらいは歌い手として成長し続けることができると思う。
Rihannaが授賞式会場を満場総立ちにする日もそう遠くないかもしれない。



Rihanna - Vocal evolution 2006-2016


2016年6月5日日曜日

マイヤが音楽ビジネスウーマンと化している件

90年代から活躍している歌手たちの現在は様々である。
ある人はショービズ界を辞め、ある人はリアリティ番組に出て、ある人はオーディション番組の審査員になり、ある人はすっかり裏方となり、ある人はラスベガスでショーをする。



98年にデビューしたR&Bシンガー、Myaはそのどれとも異なり、事務所を独立し、音楽を出し続けている。
今はDAWソフトが入ったパソコンとマイクさえあれば、誰でも曲が作れて、更にデジタル音楽配信サイトに小額のお金を払えば誰でも曲が配信できる時代である。
デジタル音楽配信・CD制作とワインのプロデュースなどをしながら、地道に頑張っているようだ。



クリスティーナ・アギレラとの『Lady Marmalade』で全世界的に脚光を浴びたMyaのキャリアは順調課のように見えた。
共演後のアルバム『Moodring』でも滑らかな歌声で大人のR&Bを聴かせていた。



しかし変化はその後起こった。
4枚目に予定したアルバムが、レーベルの判断による発売延期情報がきちんと販路内で共有できなかったため、時差が早い我が日出る国、日本で誤ってデジタル配信開始。
販売を停止したものの、ネットに楽曲がリークすることとなってしまい、レーベルは2年かけて制作した件のアルバムお蔵入りに。



Myaはそれを機にレーベルを離れ、インディレーベルに移ることを決意。
それを聞いた日本のCD制作会社がMyaに契約を持ちかけた。
Myaはそこで初めて新たな契約交渉を学び、彼女のインディキャリアがスタートした。



自宅にスタジオを作り、音楽のミックス方法を学んだり、自分で立てたプロダクション会社でお抱えプロデューサを雇ったりして、音楽制作にかかる費用を95%カット。
更にインディレーベルとの交渉術で、印税もユニバーサル・ミュージック時代よりも上昇。
結局今の方が収入は多く、全世界色々なところに仕事で行けるし、楽しいという。



日本での音楽誤配信がなければ彼女の今のキャリアはない。
2年かけてつくったアルバムが無に帰した代わりに、それ以上のものを手に入れた。



彼女のクリエイティビティはそこだけに留まらない。
Sisqoとの共演曲『It's All About Me』でのチャイナドレス風衣装とヘアスタイルは彼女が自分でデザインしたのだという。
昔から絵を描くのが好きで、自分で描いたものを当時のレーベルのお抱え洋裁師につくってもらったのだとか。



R&B歌手枠でクリエイティブといえば、美術系高校出身のKelisくらいしか知らないが、ただのダンス推しの女性歌手と思っていたMyaがこんなにも創造性に満ち、自分で道を切り開き、業務的に自立していたということは刮目に値する。

2016年3月23日水曜日

ポップミュージックのリサイクル業者、シーア

シーアは顔を隠しているのに、言うことは明け透けである。
ビヨンセとの曲作り合宿の裏側を語ったり、カニエはスタジオにも現れないのに共作者に名を連ねていると暴露したりと、インサイダー情報満載のパーティマウスっぷり。
それでも相変わらず顔は『シャンデリア』以降もベール、いや、ウィッグに包まれたまま。

今年初めに発売されたアルバム『This Is Acting』は2014年発売のアルバム『1000 Forms of Fear』同様、様々な歌手に提供したお蔵入りの楽曲集である。
アデル、リアーナ、ビヨンセ、ケイティ・ペリー、シャキーラ、デミ・ロヴァート等錚々たる顔ぶれに提供された曲の数々は、少し運命が違っていれば彼女らのアルバムに収録されるはずだったわけで、品質は一級ということを物語っている。

しかし、どれを聴いてもSia色が強い。
アデルと共作したといわれる『Alive』だが、アデルの面影がひとつも感じられない。
アデルが収録しなかったのも頷けるほどのSia節だ。

人のために書いた曲を、収録されなかったから自分で出すというなんとも貧乏性というか、エコフレンドリーな精神。
しかも内容は14分で書かれてしまうような安易で歯切れのいい歌詞に、キャッチーなメロディである。

すっかりシーア印となった、「私は強い。私は負けない」という自己顕示に溢れた少年アニメの主題歌のような世界観は『Alive』、『One Million Bullets』、『Unstoppable』、『House On Fire』などで健在。
『Chandellier』で聞かれた虚飾の豪華絢爛さ、向こう見ずな若さはリアーナ向けの『Cheap Thrills』が担当。

一日に何曲も書き上げるということは、毎日様々な音楽を聴いているということである。
その分、耳は肥えるし、今の流行が分かる。
しかも選択肢は有名アーティストの元でヒットさせるか、自分が歌ってヒットさせるか、お蔵入りかのどれかしかない。
お蔵入りが発生するのは仕方ないとして、どうしたってお得な選択ができる、おいしい立場である。

ポップミュージック界きってのリサイクル業者、シーアはツアーをしない。
この音楽ソフトが瀕死となり、ライブやフェスといった興行の時代に、大胆にも逆を行く。
ツイッターで口撃したり、インスタグラムで炎上商売を仕掛けなくても彼女にメディアの視線は注がれる。

一流歌手の要らない楽曲を、欲しがるリスナーに届けるという音楽リサイクル業者のアイディア勝ちである。

2016年1月25日月曜日

モニカが敷くR&Bの厳戒態勢~コードレッド~

Monicaが2015年末に発売したアルバムタイトル、"Code Red"を以て、厳戒態勢を宣言した。
他でもない、R&Bの現状に警鐘を鳴らした形だ。



アトランタ出身で、教会で歌いながら育ち、子供時代はタレントショウ荒らしだったモニカは、ダラス・オースティンに発掘されて11歳でレコード契約。
ストリート色のあるR&Bを歌い、断続的にヒットを放ち、2~5年の間隔でアルバムを発売し続けている。



それはつまり、音楽シーンに居続けているということを意味する。
常に音楽とふれあい、クワイヤの一員として歌いながら育ち、子供時代から音楽業界にいるのであれば、それ以外のライフスタイルを知らないのだとも言える。



そんなベテランが発する「厳戒令」はR&Bの現状を訴える物だとしても説得力はあるが、その内容自体は驚くべきものではない。
2013年のSoul Train AwardsでTamar Braxtonが"Thank you so much for believing R&B music"とスピーチをしたり、昨年Tyreseが"Is it true? They say R&B is dead"とFacebookに投稿したりしたのも記憶に新しい。
そして、何よりも我々には現実的に「R&Bの良い曲を最近聴いていないなぁ」という実感がある。



モニカは「90年代以前のR&Bソウルの愛や力を復活させたかった」と言う。
90年代、00年代のR&Bが豊富に生まれた時代はもう来ないのだろうか。



一時期にディスコ曲が流行って、それ以降は下火になったことを例に出してみよう。
ディスコ音楽の成功は、ディスコという場所と関係する。
この際、「ディスコが先か、音楽が先か」という鶏と卵問題は置いておいて、R&Bが下火になったのは、聴かれる場所が減ったからではないか。
アメリカの事情は良く知らないが、日本でもR&Bを流すクラブは減ってきているように思える。







この動画(8分8秒あたり)でモニカは「自分の前数作を含めて、何が欠けているのかは分かっている」と自己言及している。
随分と客観的で冴えていらっしゃる。



実際、個人的な感想だが、モニカはEDMにこそ転向しなかったものの、『All Eyes On Me』以降の作品は、僕にはその他の多くのラチェットミュージックと同じように聴こえ、引っかかるものが無かった。
しかし、今回の『Code Red』は久々の良作で、大胆にもYouTubeに全曲上がっていたので、試聴し、迷わず購入となったところだった。



Code Redという軍隊用語もまたストリートライクで、モニカらしい命名だと思う。
ストリート文化では仲間のことをSquadと呼ぶなど、何かと戦闘や軍事用語と親和性が高い。



モニカが一体いつ良質なR&B音楽から離れてしまったのかは明言していないが、そのときくらいからR&Bの衰退は始まっていたのではないだろうか。