それが影響してか、アメリカの音楽は凄い歌唱力を持った歌手が歌っているものというイメージがついた。
そのため、ダンスパフォーマーや演奏家に興味がなく、ロックバンドやマイケル、マドンナ、ビヨンセにはあまり関心が行かなかった。
プリンスも僕にとっては演奏家のイメージが強かった。
洋楽を聴いて育つ中でいろんな場面で彼のうわさは目にし、耳にしてきたが、圧倒的な歌唱が聴きたい身としては音楽を掘り下げるにはいたらなかった。
唯一中学生のころに知っていた曲が、『When You Were Mine』。
そして大学時代くらいに、そろそろ彼の音楽を知らないというのも恥ずかしいと思い始め、ベストアルバムをレンタル。
しかしそれでも、凄いキャッチーな曲がジャンルレスにたくさん作れる人なんだなといった程度の感想だった。
そして、2015年に誕生日に友達に彼の『Hit and Run phase1』をプレゼントされる。
初めて手にしたプリンス作品はロックあり、EDMあり、R&Bありの音楽の玉手箱のようなアルバムだった。
やはりキャッチーな曲が多く、才能を再確認した。
しかし、彼の本領はライブにあったのだと、そのときは知らなかった。
2016年4月に訃報が全世界を駆け抜けると、やはり驚き、残念に思った。
それから半年経った、秋。
何気なく、彼のインタビュー動画を見ていた。
3分のところで、司会が「もしプリンスじゃなかったら、何をしていると思う?」と問い、
彼は「16歳のころにお金が無くて働こうとしたけど、イエローページの中にひとつもやりたいことが無くて、音楽家として必死にやっていこうと思った。それで成功できた」と言っている。
才能も実績も伴っていて、説得力がありすぎるくらいカッコいい話である。
その後、SNLやスーパーボールのハーフタイムショウなどの動画を見た。
演奏への集中力、オーディエンスを時折チェックする目つき、演出、曲によって行うギター交換、盛り上げ、最後の紳士的な礼。
その一連が上手で、抜け目なく、しかも自己陶酔ではない自信に満ちている。
ライブにありがちな、疲れて力が抜けたり、声が出なくて目が泳いだりすることがない。
ダンスパフォーマーにありがちな、力が入りすぎた体育会的で筋肉的な姿を見せない。
「いいもの見れたでしょ?」といわんばかりの笑顔が彼の音楽への愛と、それで食べていけていることの偶然性に立脚した完璧な職業精神を物語っている。
誰かを見返すためや自分の実力を誇示するために歌ったり、超越的な感化に身を任せて絶唱したり、客から独立して淡々と舞台上で技巧を披露したりしている感じが見受けられない。
「音楽を魅せる」。
そして好きだからそれをやっている。
その姿が発揮される場所、ステージ。
音楽よりもライブを先にチェックしておけばよかったと思ったアーティストだった。