セルビアの歌手、Jelena Karleusaがビヨンセの撮影・演奏衣装の中には、以前自分が既に試したものの真似が見られることをInstagramにて示した。
人々は、その告発内容よりもまずそんなセルビア人の存在の方にビックリしたのではないだろうか。
彼女はKim KardashianやLady Gagaにも真似されるほど、先進的な東欧のファッショニスタ(本業は歌手)なのだ。
彼女のInstagramページを覗いてみると、コーディネート写真の洪水で、服への愛を感じる。
色々な組み合わせの試しの回数が多いため、四六時中、服のことを考えているのだろう。
その極めぶりは全世界のスタイリストが参考にする価値がある。
歌手の衣装が似ている、あるいは全く同じだと指摘されることはもう何度も行われてきた。
少し前はLady Gagaに対してMadonnaやGrace Jonesなどが声を上げた。
しかしそのMadonnaだって、初期にはMarilyn Monroeと同じような衣装を着て写真を撮っていた。
服が似てしまうのは仕方ない。
我々の姿がほぼ同じ形状をしていて、服の型のバランスや色の組み合わせが有限なのだから。
また、ファッションやデザインというものは、その人の目の肥やしに訴えかけるものがあり、前例や他のデザインとの合成、改変を経て消費されるものであることも理由の一つだ。
Jessie JやAriana Grandeなど、女性がレオタードで歌を歌うことが普通になったのは、BeyonceやMadonna、Lady Gagaだけのおかげではなく、70年代のエアロビクスの流行、Diana Ross、Betty Davis、Kate Bushによる適用、そして2000年代以降は女性ラッパーらやLady Marmalade以降のChristina Aguileraの衣装によって、われわれの目が慣れ、背景を知っているからだ。
ある程度の既視感がないと、洋服が「かっこいい」とか「ダサい」とは評価できない。
前例を探して、それを参考にするということは衣装に限らない。
ウェブデザインや住宅の建築でも参考例を探す。
これらの共通点は使い勝手(UI)と外観が両方大事であるということである。
KelisもLady Gagaに複数の衣装を真似された人の一人なのだが、彼女のそれに対するコメントが素晴らしい。
I’ve been around for a long time and that’s what artists do; we take from each other and we recycle. And quite frankly, it may not even be them. It might be stylists that have been around as long as I have and are like, ‘Hey, let’s recycle this on these younger artists.
さすがは美術高校出身、分かっていらっしゃる。
アートとは学び合うものであり、デザインは盗みあうもの。
では「オリジナル」って何だろう。
何にも似ず、何も参考にせず作られたものという意味であれば、それは理性的な人間には不可能な活動ではないだろうか。
トランス状態にでもなれば話は別だが、人間は知識を蓄え、それらをカテゴライズし、組み合わせ、取り出し、ということを延々と行っているのだから。