2014年10月28日火曜日

テイラー・スウィフト「シェイク・イット・オフ」のビデオのパロディ性

Avril Lavignの『Hello Kitty』、Lily Allenの『Hard Out Here』と共に人種差別的だと批判されているTaylorの『Shake It Off』のビデオ。
三作品とも、差別のためではなく寧ろ差別のパロディとして日本人や黒人を配置していることは一目で分かる。



3LWの『Playa's Gon Play』を彷彿とさせる歌詞のこのTaylorのビデオの場合は単なるパロディに終わらず、登場人物たちとTaylorの立ち位置に対比が見られる。
背後の人たちは、彼女の大衆性を表現するために配置されているのだ。



多くの人間はバレエも創作ダンスも踊れないし、ヒップホップカルチャにも属していない。
チアリーディングで空中を舞う自信もなく、近未来的なR&Bの世界とも無縁だ。
彼女はその全てにおいてアウトサイダーであり、ぎこちない。



しかしながら、ユニクロかGAPの宣伝みたいな、清楚で落ち着いた灰色の服に身を包む彼女は自信を持ってバンドと共に歌を歌っている。
新体操もヒップホップも踊れないけれど、私は私。
だから気にしない(shake it off)。



ブラックミュージックを演奏するのに、黒人文化出身である必要はない。
しかし依然として、音楽業界はイメージを大事にする。
普段着ているものを着て音楽をやるのではなく、アーティストの出自にドラマを持たせて、説得力を高めようとする。



だからAdeleが小学校の一時期、クラスに自分以外は黒人しかいなかったなどというエピソードが広まる。
そのエピソードは本当だと思うが、大事なのは真偽ではなく、それが彼女がブラックミュージックを歌うことの資格を与えるという面が問題なのだ。



差別などというけれど、スラムで育ったりドラッグディーラーとつるんでいたり、普段着がスウェットに高価なスニーカーじゃないと、ブラックミュージックアーティストとして説得力に欠けると人々は思っている。



そして、Lily Allenの『Hard Out Here』やTaylor Swiftの『Shake It Off』はそういった現実をパロディー化しているように思う。
そしてありのままの自分でありのままの表現をすることの大切さを体現しているように見える。



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【補足】

  • Taylorの『Shake It Off』は80年代のエアロビ番組のパロディであるという見方も存在する。 (2014.11.11記)

2014年10月24日金曜日

Jodebという映像ディレクターに注目

昨今はTinasheやJhene Aiko、Banks、FKA Twigsみたいな暗くアングラな音づくりをするR&Bが流行っている。
スローテンポでFlying Lotus的なベース音、EDMでよくあるようなシンセサイザーの成すフレーズが特徴であり、ボーカルもエコーが多めにかかっていて、神秘的である。
The WeekendやFrank Oceanがつくった潮流であろうか。
あるいはFlorence and the MachineやJames Blakeなどにも影響されているかもしれない。



その神秘的R&Bの新星、Tinasheのシングル曲「Pretend」のビデオを見た。




どこかで見たことがある映像の類型を感じた。
それはZeddの『Clarity』とNe-Yoの『So Sick』だ。
カメラが人物に迫っていく感じと山や自然が感じられるところが似ていると思った。



調べてみると、やはりZeddの『Clarity』は同じディレクターのビデオだった。
ディレクターの名前はJodeb。
カナダはケベック州の出身だ。



Jodebの手掛けた作品

  • Cypress Hill & Rusko 「Roll it, Light it」
  • Deftones 「You've Seen the Butcher」
  • Underoath 「Paper Lung」
  • The New Cities 「Dead End Countdown」「Leaders of the Misled」「Looks Minus Substance」
  • Porter Robinson 「Language」「Lionhearted」
  • David Usher 「Je repars」
  • Zedd 「Clarity」「Find You」
  • Unberlin 「Unstable」
  • Sebastian Ingrosso & Tommy Trash 「Reload」




見てみると、Tinasheの「Pretend」なんかは一番おとなしい感じのビデオだ。
山の崇高性が作品に奇妙な神秘感を与えている。
しかし、彼のビデオの主な特徴は大きな自然を高画質に映すことではなく、Sci-Fi的な世界観と工数の多そうなデジタル映像処理だ。



Cypress Hill & Ruskoの「Roll it, Light it」やPorter Robinsonのビデオなんかは大変手間がかかっていそうで見応えがある。

イメージビデオとして空間に流すだけで、一種のインテリアデザインになるくらい、もはや音楽ビデオの枠組みを超えてしまっている。



個人的に一番好きなのはUnderoathの「Paper Lung」だ。




最初はおとなしめだが、雪原やお墓、大海原などのやはり「景色」でイメージ作りをした後の、後半が圧巻である。
シャウトと共に映像が赤に反転、明滅し、様々なシンボルが切り替わる。
感傷的な映像や破壊的な演出で終わりがちなハードロックの印象を変える作品ではないだろうか。



・・・



ちなみに、残念ながらTinasheとは関係のなかったNe-Yoの「So Sick」はHype Williamsというアメリカの映像ディレクターの作品だった。
調べてみると、TLCの「No Scrubs」やMissy「The Rain」、Left Eyeの「Block Party」を手掛けるなど、大御所もいいところ。
元祖未来系R&Bの映像をけん引した御仁だった。

2014年10月23日木曜日

フィラー(充填材)という概念

世間話の上手な人と話していると、前にも訊かれたことのあることを質問されることがある。
彼らの表情を見ていると、こちらの答えを訊きたいのではなくて、空間の静けさを埋めるまたは、次なる会話のための踏み台のようなものであって、こちらの答えを聞いて頭で理解している風ではない。



その場合の質問は「フィラー(充填材)」だったのだ。



フィラーといえば、軟膏に入っているワセリンや歯の詰め物に入っているガラスやセラミック、粉薬の大部分を占めるでんぷんである。
音楽で言えば、フィラーはJanetのアルバムの曲数を埋めるスキットや記憶に残りにくい曲として存在する一方、Lordeのデビューアルバムにおいては批評家から「the album completely lacked filler tracks」と評されるほど、出番がなかった。



Truth Hurtsはデビューアルバムに収録されている『Queen of the Ghetto』という曲で
What's up with these mark ass bitches
talking about their album is crazy, go cop my joint
Then only 1 song is worth listening to
and even that is shit so 3 years ago
と、同業界のシンガーたちの聴く価値の曲の少なさを批判していた。一曲しか聴く価値がないとは、残りの十数曲がフィラーということである。あっぱれな批判ぶりだ。



充填材は主成分の少なさを補うために存在する。
それ自体の効能はほぼない。



しかし、音楽アルバムで地味だと思っていた曲が段々と中毒的に頭の中に残り、好きになったことはないだろうか。
そう、実は音楽にフィラーはない。
何故なら音楽は心の持ちようやフッとした気の迷いで受け取り方が変わるものだからだ。



Lordeのアルバムは全曲、ほぼ同じような曲のつくりである。
往年のポップアルバムの様に、暗い曲があったり様々なジャンルに挑戦したりはしていない。
それゆえ、フィラーがないというよりは、全曲同じような分野の曲で、それがその批評家の趣味に合ったというだけのことだと言える。

2014年10月6日月曜日

洋楽の国内盤発売が遅い件

洋楽を聴くときはいつも国内盤CDを買っている。
日本に住んでいると、外国のアーティストがカジュアルにテレビやラジオに出演したり、雑誌のインタビューに答えたりするのを見ることができない。
そのため、国内盤同封の解説を重宝する。



経験上、解説を読んでからアルバムを聴くのと、歌詞すらない輸入盤のアルバムを聴くのは、全然作品全体の捉え方が変わる。
それは美術館でも言えることで、展示の説明を読まないで絵を見るのと、読んでみるのとでは解釈が全然違う。



だから僕には作品自体よりも解説を楽しみにしてる部分があるのだが、この国内盤CDについて、最近よく思うことがある。
それは洋楽の国内盤発売が遅かったり、発売自体がなかったりすることだ。



気になった国内盤未発売および遅れ
  • Lorde / Pure Heroin (欧米から4か月遅れて発売)
  • Iggy Azalea / The New Classic (2014.12.10発売。欧米に遅れること8か月)
  • Sam Smith / In The Lonely Hour (2015.1.21発売。欧米に遅れること7か月)
  • Sia / 1000 Forms Of Fear (2014.12.24発売。欧米に遅れること5か月)
  • Jessie J / Sweet Talker (未定)



たった5例だが、それでも英語圏では有名な受賞作ばかりだ。
思い込みかもしれないが、10年前はこんなことはなかった気がする。
売れなさそうな洋楽CDですら国内盤が発売された。
それが今では良作ですら国内盤が発売されていない。



発売の時間差は映画業界には元々見られる戦略で、洋画は本国での放映から遅れて日本での配給先が決定し、字幕スーパーがつきプロモーションとともに放映される。
音楽もそういう傾向にあるのだろうか。
単に全然売れないので、国内盤発売を減らしているのか。
あるいは、日本国内ではなく、現地でのやり方が変わってそれが日本にも影響しているのか。



いずれにしても本国での熱が落ち着いたころに国内盤を発売しても仕方ない気がする。
レーベルに分かってほしいのは、CDが売れないのは音楽の楽しみ方が変わってきているからだけれども、CDを聴く人はまだ沢山いるし、音楽自体の質が悪くなったわけではないということなのだが。

2014年10月3日金曜日

ロードの音楽はロックなのか

MTV Video Music Awards 2014で、LordeはBest Rock Videoを受賞した。
これには一般の視聴者もファンも驚いた。
確かにちょっと服装がゴシック調だけど、音楽は全然ロックではないではないか。



それで色々調べてみた。
ロックに分類される原因となりそうな要素を箇条書きにする。



  1. 以前、ロックバンドを組んでいた。
  2. パンクバンドのボーカリストであるJoel Littleがデビュー作の主要なプロデューサーである。
  3. Nirvanaと演奏をしたことがある。
  4. 他のアーティストのことに批判的に言及する。


こう見ていくと、やはりプロデューサーの力が大きいだろうか。



消去法説
積極的にロックに分類されたのではなく、消去法でロックに分類された可能性もある。
ポップ/ロックには入るだろうけど、どちらかと言ったらポピュラー(大衆的)な感じはなく、反骨精神があるし、服の色も黒いのでロックとされたのかもしれない。



とはいえ、1stアルバムはLana Del Reyを参考に作られたのであって、ファンもLana Del ReyやJessie Wareの「Wildest Moment」の延長のような、シンプルなビートとボーカルに現代批判的な歌詞を乗せたストリートライクな音楽として受け止めたはずだ。



あれをロックと言ってしまうと、ロック愛聴家も黙ってはいられない。そういうリスナー不在の放送局やレーベル、音楽団体の勝手な方針に、どれほどのファンが付いていくだろうか。



一部には「MTVがVMAsで、Ariana Grande、Katy PerryとLorde全員に賞をあげたかったからではないか」といった憶測も出ているが、そう思われても仕方がないくらい、Lordeの1stがロックと分類されるのは違和感があるのだ。