2014年10月23日木曜日

フィラー(充填材)という概念

世間話の上手な人と話していると、前にも訊かれたことのあることを質問されることがある。
彼らの表情を見ていると、こちらの答えを訊きたいのではなくて、空間の静けさを埋めるまたは、次なる会話のための踏み台のようなものであって、こちらの答えを聞いて頭で理解している風ではない。



その場合の質問は「フィラー(充填材)」だったのだ。



フィラーといえば、軟膏に入っているワセリンや歯の詰め物に入っているガラスやセラミック、粉薬の大部分を占めるでんぷんである。
音楽で言えば、フィラーはJanetのアルバムの曲数を埋めるスキットや記憶に残りにくい曲として存在する一方、Lordeのデビューアルバムにおいては批評家から「the album completely lacked filler tracks」と評されるほど、出番がなかった。



Truth Hurtsはデビューアルバムに収録されている『Queen of the Ghetto』という曲で
What's up with these mark ass bitches
talking about their album is crazy, go cop my joint
Then only 1 song is worth listening to
and even that is shit so 3 years ago
と、同業界のシンガーたちの聴く価値の曲の少なさを批判していた。一曲しか聴く価値がないとは、残りの十数曲がフィラーということである。あっぱれな批判ぶりだ。



充填材は主成分の少なさを補うために存在する。
それ自体の効能はほぼない。



しかし、音楽アルバムで地味だと思っていた曲が段々と中毒的に頭の中に残り、好きになったことはないだろうか。
そう、実は音楽にフィラーはない。
何故なら音楽は心の持ちようやフッとした気の迷いで受け取り方が変わるものだからだ。



Lordeのアルバムは全曲、ほぼ同じような曲のつくりである。
往年のポップアルバムの様に、暗い曲があったり様々なジャンルに挑戦したりはしていない。
それゆえ、フィラーがないというよりは、全曲同じような分野の曲で、それがその批評家の趣味に合ったというだけのことだと言える。

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