Soul Train Awards 2016をインターネットで閲覧した。
まさかのErykah Badu司会である。
そして、まさかのなかなかのギャグセンスである。
会場を割りと沸かせていた。
授賞式としては、面白いと思ったのはBest hip-hop Song of the yearがRhythm and bars賞に変わっていたことだ。
確かにDTMでHip Hopの曲を作ろうと思ったら、目の前のモニターにあるのは小節であり、耳に聞こえるのはリズムである。
Lady of SoulとしてBrandyが選ばれたのは不思議だった。
最近作品を出したわけではないし、出演する代わりに賞をくれと交渉したのだろうか。
去年がJill Scottの受賞だったので、流れ的にはAngie Stoneの方が適切な気もするが。
先述のMC Erykahであるが、中間と最後に寸劇を挟んでいる。
自称ボイスコーチのMs. Irma Ervingとして授賞式に侵入を図る。
華やかな格好で現れ、「ここにいる歌手の全員のボイスコーチをしている」とバウンサーに豪語する。
しかし、そのメイクは志村けんばりのコメディ仕様なのだ。
これが去年末の紅白歌合戦のマツコ・デラックスとタモリによる寸劇を思わせた。
会場に到着し、ガードマンに止められながらも侵入し、舞台に上がり、出て行くまでのあの熟年夫婦である。
紅白の二人は自主的に帰っていくが、Soul Train AwardsのMs. Ervingは結局つまみ出されることとなる。
マツコ・デラックス&タモリの寸劇は尺が長く、しかも即興と思われるのでコメディ要素を持たせるのは難しいだろう。
二人のショーマンシップに全てがかかっている。
しかし、それを敢えてやらせたのは、かつてフジテレビの27時間テレビで同局が「嫌われている局ナンバーワン」という雑誌記事に関する発言をぶち込んだり、別の生放送番組で「デモ以降大変」と述べるなど視聴者の気持ちをハプニング的に代弁してきたマツコと、客観的な批判が出来る緩衝材のようなタモリの化学反応を見せたかったからであろう。そして、それが見たい視聴者は一定数いたと思うので、その点で成功だったと思う。
Soul Train Awardsの寸劇はロケであり、コメディなので、授賞式の娯楽性を強める働きがあった。
両者を眺めたときに、寸劇の存在価値は尺の上に成り立っていることが分かる。
尺が寸劇の生命維持装置である。
尺が有り余った寸劇は冗長性を帯び、中だるみし、もはや「寸」劇ではなくなる。
その意味で、マツコ・タモリの寸劇はもっと短時間の物を多くやる方が良かったと思う。
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