最新作『Artpop』が商業的に不出来だったことも再タッグの理由の一つだろう。
RedOneはモロッコ出身のプロデューサー。
19歳のときにスウェーデンにわたり、ミュージシャンを目指すも23歳のときに裏方に回ることを決意。
ヨーロッパでは様々なアーティストと仕事をしつつ、下積み生活を送り、35歳にて妻と共に渡米。
鳴かず飛ばずで無一文のときにKat DeLunaやLady Gagaと出会い、日の目を見る。
特筆すべきは、彼がスウェーデンに渡った理由で、スウェディッシュ・ポップが好きだったからだそうだ。
既にここにポップミュージックのセンスがある。
彼の手掛けた作品を聴くと、飛びぬけて明るい、または気分が高揚する曲が多い。
スカンジナビア半島のプロデューサー陣は本当に世界を股にかけ、ポップミュージックを量産していて恐ろしいくらいだが、Gagaの有名曲はやはりこのRedOneの手掛けた曲が大半だった。
以下の曲がRedOneプロデュース曲である。
- "Just Dance" (Feat. Colby O'Donis)
- "LoveGame"
- "Poker Face"
- "Money Honey"
- "Boys Boys Boys"
- "Paper Gangsta"
- "Bad Romance"
- "Alejandro"
- "Monster"
- "So Happy I Could Die"
- "Judas"
- "Hair"
- "Scheiße"
M.I.A.は以前、Lady Gagaの曲を「イビザ島のディスコみたい」と批評したことがあるが、それはさしずめRedOne批判でもあり、なおかつ的を得ているとも言える。
Swedish House Mafiaなどスウェーデン出身のハウスアーティストの作品はやはりとても明るく、こういう音楽がイビザ島でかかるとすれば、確かにRedOneの曲もイビザっぽいということになるからだ。
Lady GagaはAndy Warholの世界観を模倣し、MadonnaやGrace Jonesの出で立ちを踏襲し、LGBTの代弁をしながらポップ・ミュージックを発信してきたが、それもこれもRedOneのド級のポッププロデュース力がないと、ここまで注目されなかったのかもしれない。
GagaにとってのRedOneは、J-popにとっての「カノンのコード進行」の如き最終兵器であり、Gagaは一発目から伝家の宝刀を抜いていたのかも知れないのだ。
もしRedOneと組まなかったら、Lady Gagaはどんな音楽をやっていたのだろう。
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